有賀泰治の公式ブログです。日々の行動や情報、会社での出来事などを更新しております。

2011/09/30

クロアチア四日目 
《 S p l i t 》を後にクロアチアを南下 《 D u b r o v n i k 》へ

海岸沿いの切り立った崖道を車で走しり3時間、その町は眼下に広がり美しいアドリア海にせり出した島のように見えてきました。
大型の豪華客船が波止場や海上に停泊し華やかさを更に演出しています。

うわー 綺麗だな! 全員が声をそろえて・・・!ため息!


『アドリア海の真珠』と呼ばれた海洋都市国家《 D u b r o v n i k 》

アドリア海に面した、中世の海洋都市国家としてヴェネチアと並び地中海交易に名を連ねた。
旧市内は今も多くの歴史を残す遺産がつまった街。
ヴェネチアやオスマントルコという強国に囲まれながら長い間独立を保ってきた。
16世紀にバルカン半島がオスマントルコ一色で埋め尽くされた後も、トルコの中の飛び地のように独立を保ち、活気ある交易を続けてきた。

この街は、一度見たら忘れることのできない強い印象を、みる者に刻みつけ、語りきれない物語が永い歴史の中で誕生したんだなと感じさせる。


スジル山からの展望
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旧市内
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2011/09/29
早朝、海岸通りを歩くと、風変わりな建築物があり、高く伸びた椰子並木にオープンカフェやショップが並んでいます。
埠頭にはクルーザーや豪華客船が停泊しています。

「古代ローマ帝国時代の宮殿の外壁」
現在、この宮殿の中には一般の民家が建ち並んでいます。

かつてこの建物はローマ帝国ディオクレティアヌスが引退後に余生を送った宮殿跡です。

ディオクレティアヌス帝は紀元3世紀末期、混迷したローマ帝国の再建を図った皇帝で、引退後に生まれ故郷に近いスプリットに建設したものです。
その後年月が経ち、廃墟と化した宮殿内に人が住みつくようになったそうです。

宮殿の大きさは200メートル四方

かつてはこの写真の建物が直接アドリア海と面していて帆船が横付けできるようになっていました。
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「ディオクレティアヌス帝の地下室」
工芸品を売る画廊が軒をならべています。
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「大聖堂」
この建築物はディオクレティアヌス帝の霊廟であって彼の墓が置かれていたが、七世紀に大聖堂として改築されたものです。

ディオクレティアヌス帝はキリスト教を迫害した最期のローマ皇帝あったため、キリスト教徒には人気がなく、現在は彼によって迫害され殉教した司教の棺と祭壇が置かれています。
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大聖堂前の広場







ローマ人が現れました。
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玄関広場の天井
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2011/09/28
ボスニアまで足を延ばした強行行程の為、RC例会の約束時間すれすれにスプリットの市内に入ることになりました。

街の中央に世界遺産の宮殿があるため、ホテルは高速道路から降りてその旧市街地を抜けないとたどりつけません。
グーグルナビで検索すると、車進入禁止の旧市街地を抜ける指示!!

約束の時間に間に合いません・・・!

後部座席では、先輩ロータリアンが・・・!
『ロータリアンは、時間を守るのが大原則、更に服装は、スーツ、ネクタイ・・・特にヨーロッパはその仕来りは厳粛だ・・・!』
と静かな言葉ではありますがプレッシャーをかけ・・・!

仕方なく、RCの例会会場へラフな旅行着のまま到着。会場前の駐車場でスーツケースを開け全員で着替え、時間すれすれに会場に飛び込み例会に参加となりました。

後にスプリットのRCメンバーが車で先導してホテルまで案内してくれましたが、旧市内を大きく迂回してトンネルを抜け街の反対側のホテルにたどりつきました。



共和国広場の中にあるホテル
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英文は先輩ロータリアンがスプリットRCでご挨拶した演説文です・・・!

クロアチアは小さい頃よりの憧れの地だったそうです。
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It is a great pleasure to meet you, my fellow Rotarians of RC Split Novi.

We would like to appreciate you for letting us participate in this meeting. We are also thankful for accepting the Make-up today.

We four are fellow Rotarians and came here to Croatia from Japan.

I have been wanting to visit Croatia for 65 years since I was only 10 years old. And I am full of emotions now as my dream is finally achieved.

Stamp collecting was my hobby when I was a kid. And I was impressed with beautifully printed stamps of Croatia, which made me wonder how Croatia is. This made me have interests in this beautiful country.

I would like to visit and enjoy the beautiful sunset in Adriatic Sea, not to mention the numerous world heritage sites.

Speaking now of our activities in Japan, we have currently 34 districts with 3306 clubs, and the number of members is 90,673.

We come from District 2600, Nagano prefecture, which hosted the Winter Olympics in 1998. District 2600 has 2,055 members in 57 clubs.

We belong to Matsumoto Airport Rotary Club. It has 54 people including three female members.

Among the many club activities we enjoy barbecues, mountaineering, and golf in order to deepen friendship among the members. We carry out volunteer works in our community, assistance to Inter Act Clubs, and joint activities with two domestic sister clubs. We also carry out aid activities, such as the aid to orphanages in Nepal providing school items and stationery through Patan West Rotary club.

Rotary Club was established by Paul P Harris in Chicago, USA, in 1905.
It is a great joy that this organization gave a traveler like me the opportunity to meet wonderful people like you.

Thank you.



東洋の果てから来た我々を初対面でも歓迎してくれる・・・RCの世界ネットワークに感謝・・・!

2011/09/27








訪問した Split Novi RC、のHPです。
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http://www.rotary-split-novi.hr/

http://www.rotary-split-novi.hr/pdf/Brosura_rotary_NOVI3.pdf

創立まもなく、3年~4年ほどの若いRCです。大歓迎していただきました。
バナー交換などして楽しい時間を過ごすことが出来ました。

会員は20名近くいますが、バカンスの季節で今日は少人数の例会と言うことです。

クロアチアの一般的なバカンスは1週間くらいだそうです。
日本はどの位の期間バカンスを取るのかと質問されました。




先の独立戦争以前の社会主義時代からクロアチアは旧ユーゴスラビア連邦内でスロヴェニアに次いで最も繁栄し産業化された国で、その一人当たりの生産高はユーゴ全体平均を常に大幅に上回っていて、とりわけ観光業に強く、昔から美しいアドリア海の海岸線をベースに、現在も外国からの観光客を国の人口の2倍という数字の人々を受け入れいる。

しかし戦争はクロアチア経済に壊滅的な影響を与えたようで、もともと旧ユーゴ時代からの非能率的な経済システムを継承していたが、それに加えて発電所や橋、工場等が戦争で深刻なダメージを受け、さらに大量の難民も発生するなど、経済は瀕死の状況に陥った。

独立後のクロアチアはトゥジマンという民族主義派のリーダーが大統領になって、半全体主義的国家体制をとった為、経済の順調な発展にもブレーキがかけられた。
それは、政府の腐敗により一部の経済エリートのみが潤う歪んだ経済システムが出来てしまったことと、民族主義的な政策によって欧米を敵に回し、国際社会からの資金が入ってこなかったことが原因になったようだ。

しかし2000年1月の議会選挙、2月の大統領選挙で改革派が勝利し、その後、経済も大きく方向を変え、市場経済を構築するためにいま推進中であり、新改革派政府は「クロアチア経済が近隣の東欧諸国と比べて市場経済の発達という点では10年近く遅れをとっている」と表明。

自国の経済が予想以上に酷い状況におかれていることを認識し、10年間に及ぶ経済のミスマネージメントのつけは想像以上に膨れ上がっていた。

新政権はこれに対して真っ正面に取り組んで、経営の悪化した企業は倒産させ、政府の金を無駄に注ぎ込むことをやめた。
当然失業者は増加しているが、経済を健全な方向に進めるために政府は国民に不人気な政策を断固とした態度で押し進めている。

またかつての政商を逮捕したり、税制等を国際基準に合わせるための制度改革を行ったりと積極的に経済環境の整備に努めている。

経済的にはいまだ状況は好転しておらず、市民の生活に大きな変化は見られないが、この前向きな態度は国際社会の賞賛を獲得し、WTOへの正式加盟が認められ、EUからも「潜在的加盟候補国」の地位を与えられた。
こうして西側との関係改善に努めたことで、外資の参入も始まっており、国際機関からの大型投資も期待されている。

クロアチアで最も重要な産業は観光産業である。

また海に面しているため伝統的に造船業も強い。
新政権に代わってから外国企業による投資も始まっている。

クロアチアは木材資源が豊富なため、製材、家具等の分野も将来性が高い。

また漁業資源も豊富で日本へはマグロを輸入している。実際日本へのクロアチアからの輸入の大半がマグロである。

食品関連ではワインが有名で、政府もワイン産業には力を入れ始めている。


RCの例会や街で人々に触れて、勤勉でまじめな態度はどこか日本人と同じ感覚の、人なっつこさが感じられました。







2011/09/25
大陸独特の石灰岩の山肌に、ほとんど高い木が無い山間を抜けると渓谷に茶色屋根の家が建ち並ぶ美しい街並みが広がります。

《 M o s t e r 》  が見えてきました。

この山あいの街の美しい渓谷に、オスマン時代の石橋が残っています。

崖の上に建てられた二つの古い街をつなぐため、石橋は水面から遥かに離れた空中に孤を描くように掛けられています。
背景には石灰質の険しい山が迫り、ネレトヴァ川の緑色とのコントラストが石橋の美しさをいっそう際立ってみえます。

1556年オスマントルコ時代の建設ですが、ボスニア内戦では砲撃で破壊され、この橋を通じて交流してきた異なる宗教の人々が数百年に守ってきた人間の絆も砕かれ、この両岸でイスラム教徒とクロアチア人が戦ったそうです。

内戦後の2004年、世界中の援助があって、川底から破壊された石を集め、足りない石は建設当時の石切り場から補い往時のままに復元されています。



観光客でいっぱいです。

しかし・・・東洋人はまったくいません
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川岸の家はレストランやお土産屋になっています。
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若者が橋の上から飛び込むのでしょうか!!??
20メートル以上はありそうです。
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街には、いたる所に内戦の激しい銃撃戦の跡がいまだに沢山残っていました。

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《カラジュズ・ベル・モスル》
1557年にトルコやドブロニクの石工が建設した、ヘルツヴェゴヴィナで最も重要なイスラム寺院。
ここも内戦でかなりの被害を受けたようですが、再建がすすみ今はモスクとして祈りの場所になっていました。
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検問所

《 I m o t s k i 》を出発してしばらくすると、国境に差し掛かり、いよいよ、国境の検問。
レンタカーで国境を越えるのは初めて、みんな少し緊張気味、まして、内戦の激しかったボスニアへの入国です。
ローカルな道の検問所なので、クロアチア側もボスニア側も意外と検問所は小さく何事もなくスムーズな通過。
ボスニア側でパスポートを簡単にみて返してよこしたとき、隣のナビゲーターが『スタンプ、プリーズ』とパスポートに検印のお願い!!
検問官も驚いた様子でしたが快くOK・・・しかし・・・このローカルな田舎道、パスポートに検印をするなんて人は滅多に通過しないようです。
別室の事務所へ検問官は行き、なにやらスタンプの日付を合わせ、スタンプ台をさがしているようすです。
我々は後の車を先に行かせる為検問所の空き地でしばらく待っていました。
待望のスタンプの付いたパスポートが帰ってきました。スタンプは何処かなと捜して見ますが見当たりません・・・・・

あった・・・あった・・・

インクのほとんど付いていない・・・・なんだか分らない・・・スタンプ!!

みんな、大笑い!!!

ここでもロスタイム!!!
2011/09/24
三日目

《 Sibenik 》 から ボスニア・ヘルツゴヴィナの 《 M o s t e r 》 へ自動車で国境を越えます。

夜は、クロアチアへ戻り、《 Split・ RC 》の例会に参加する予定です。


シベニックの朝市  ↓


旧市内を抜け高速道路に入ります。↓



クロアチアの高速道路は日本と同じように速度制限が道路状況によって変わりますが、一般的には130km/h になっていますが、130km/h で走っていると後からあおられ、必ず運転手はこちらを見ながら、怒って抜かしていきます・・・!?

 《ルート・A1》を南下し高速道路が終わった地点から一般道路を東に向かい国境に出る予定でした。

しかし、レンタカー会社から有料で借りてきた。ポンコツ・ナビが途中からしきりに高速道路を降りろと示し、クロアチア語らしき言葉でしきりにがなりたてます。スピーカーも壊れ言葉になっていません。
日本から持っていった googleナビは直進です。
迷いましたが、高速道路を降りることにしました。
後の帰り道に分りましたが、高速道路はまだ南に続いていたようです。
また、このタイムロスが夜のRC例会参加の時間に微妙な影響をあたえました。

しかし、途中、クロアチアとボスニア・ヘルツゴヴィナの国境の街 《 I m o t s k i 》に寄る事ができました。ここでお昼にします・・・!

小さな街のようですが、レストランが1軒もない、メインストリート沿いはすべてショットバー。何十件ものバーが道の両脇にあり、お昼時間なのに人々はお酒を呑んでいるだけです。

何人かの人に聞いてみても、レストランは無い・・・との事

・・・・・・・・・・!

・・・・・・・・・・! 苦労しました!

町外れにあるホテルのレストランでランチがあるのではないかとの話を聞きだし、やっと昼飯にありつけました。

やれやれ・・・・!

丘の上の街、《 I m o t s k i 》のホテルレストランは眺めも最高です。


この街は近くに湖があり、そこがリゾート地になっているようです。
レストランをたずねると、必ずレイクヒルに来たのかと聞き返されました。

今日の目的は 《M o s t e r》ですので寄り道はここまでで、ランチの後は再出発をします。


2011/09/22
クロアチアでの自動車走行1日目は少し余裕をもって走りましたので、この古い街《Sibenik》でホテルをとることにしました。
港を散歩すると、島に行く船が1時間おきに出ているようです。
地図を見ると大小さまざまな島が点在しています。



船はその中のリゾート島にいくようです。旅行ガイドなどを捜してもその島の事は書いてありません。
夕暮れにはまだ時間がありますので、行くことにしました。

何があるか探検です!!!!!。

船は40人前後の小型ですが、ほぼ人でいっぱいにになりました。
      ↓ シベニック・・・前のブログの町並みを船から、左上に《聖アン要塞》




船が出てしばらくすると、隣に座ったクロアチア人が英語でしきりに話しかけてきます。
島々に古くからある洞穴やローマ時代の要塞、観光ガイドのように話しだしました。
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このロケーションなかなか絵になります。この船だけで立派な観光になります。

そのうち、自分の仕事の話しになり、日本へもビジネスで大阪へ行くそうです。
島には、彼のウィークリー・ハウスがあり、可愛い妻と週末を過ごすのだと・・・・!!!

島に着くと高額なクルーザーがいたるところに・・・
別荘地ですね・・・週末やバカンスを楽しむ人が沢山います。
かつて社会主義国であって、10年以上内戦が続き、独立して間もない国とは思えないリゾート地です。
       ↓

       ↓ 海水浴を楽しむ人が沢山います・・・

       ↓ とりあえず乾杯
        楽しい視察になりそうです。

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2011/09/21
高速道路でクロアチアのザクレグを南下、《シベニック》へ

ホテルは高速を走りながらネットで予約。

助手席のナビゲーターは、港沿いにある旧市内の中にあるホテルを予約したとの事。


港沿から丘側へ一歩入ると、独特の美しい旧市街地だ。





中世をタイムカプセルに閉じ込めたような町並みが広がる。

人気のない朝方に町を歩くと、石灰岩でつくられた町並は、現代とは少しかけ離れた、“時間の隙間”に入り込んでしまったような不思議な錯覚におちいる。







港の桟橋を見ると、豪華なクルーザーが何隻も停泊している。
自由主義国家になり年数も経たないが、観光立国として急激に栄えてきているようだ。

港については後ほど・・・・


聖ヤコブ大聖堂(世界遺産)は1431年から1555年まで150年以上かけて建設され、クロアチアで最も重要なルネッサンス様式の聖堂だそうだ。
レンガや木の柱をまったく使わず建てられた石造建築の教会としては世界で一番大きい。

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そこから丘に向かって旧市内が続き、聖アン要塞、聖アン教会や古い教会がいたるところに点在していて、散策が楽しい。

聖アン要塞は70メートルの丘の上にあり、振り返れば、赤屋根の旧市街や大聖堂、さらには煌く紺碧のアドリア海が広がり沖合いの島々が海に浮かぶ光景が印象的でした。






2011/09/20
目的

観光立国を目差すクロアチアは8つの国立公園、5つの国定自然保護区、そして5つの世界遺産を誇り、観光は国の至る場所に存在しています。

世界遺産に登録されているなかでも、最も有名なアドリア海岸に位置する都市《ドゥブロヴニク》は、日本の宮崎 駿のアニメ『魔女の宅配便』や『虹の豚』に描かれている町並みモデルになったことでも知られています。

海外からの観光客の集客活動を積極的に模索している日本として、新たなビジネスチャンスの発見を目的としています。

経済界では設立間もない、クロアチア・スプリットRCの例会出席も予定していました。


クロアチアについて

クロアチア共和国、通称クロアチアは、東ヨーロッパ、バルカン半島に位置する共和国。
本土では、西にスロベニア、北にハンガリー、東にボスニアヘルツェゴビナ、セルビアと国境を接している。南はアドリア海に面し、飛び地ノドゥロヴニクでは東にモンテネグロと接しています。

特に内戦後の、1990年の憲法制定以来、クロアチアは民主主義を標榜している。1990年から2000年までは半大統領制、それ以降は議院内閣制を採用しています。

クロアチアの欧州連合(EU)加盟交渉は2005年にスケジュールが組み立てられ、2008年1月に発足したサナデル内閣は2010年のEU加入を目標としました。
ただし、クロアチアの加盟交渉の開始に当ってはオランダのハーグに設置されている旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷から訴追されている、クロアチア群退役将軍アンナ・ゴトヴィナの同法廷への引渡しが条件となっていました。
当初クロアチアの加盟交渉開始の障害となっていたアンナ・ゴトヴィナは同12月初頭にスペインのカナリア諸島で身柄を拘束され、ハーグの旧ユーゴスラビア国際戦犯法廷に移送された。

欧州委員会はクロアチアとの加盟交渉を終了し、同国のEU加盟を加盟国27カ国に提案する方針を2011年6月に固めた。クロアチアのEU加盟がなれば旧ユーゴスラビア構成国家の中ではスロヴェニアに続く2例目となります。

クロアチアの観光産業はとても好調です。2005年度は人口の倍にあたる約940万人がクロアチアを訪れました。観光客の多くはドイツやイタリア等の西ヨーロッパ諸国の人々ですが、近年は日本からの観光客も多く訪れています。



視察は・・・・・

今回は、往復の航空チケット、レンタカー、初日と最終日のホテルの予約だけで、入国。
あとは二日目スプリットRCへの例会訪問アポイントをとってあるだけです。

レンタカーで旧ユーゴスラビアを回り、Googleナビが大活躍しました。

ある程度の目的地はありましたが、体調などを考え、宿泊はその日の午後にネット予約をしました。
日本での出張や旅行とまったくそん色ない行動がとれた事は驚きでした。





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クロアチア首都、ザグレブ。
カプトルの丘にある大聖堂広場と大聖堂
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高速道路サービスエリア
地図や案内を見ながら行き先を確認
SSにはワインやビール、ウイスキーまで売られバーカウンターまであります。飲酒運転はOKなのでしょうか!?
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2011/09/15
各社毎に、社長が基本方針や経営計画を発表

今期は、グループ各社の決算期を統一しました。

また、社長が策定した基本計画を全社員が自身の事として実践参加してほしいというこで、経営計画の策定には全社員のミーティングを開いきました。

少しづつではありますが、変化のある事業経営を進めていきます。


2011/09/14
グループにはいろいろな表彰があります。

年に一度の表彰は
優秀事業所賞
優秀社員賞
優秀新人賞
優秀チーム賞
優秀環境整備事業所賞
優秀紹介賞


3ヶ月に一度の表彰
優秀粗利賞
優秀紹介賞


その他に
禁煙手当て、タバコを吸わない人には年間、○万円を支給。(結構な金額だとおもいます。)
タバコを吸わずに、健康で仕事をしてほしい !! という願いで支給しています。

読書賞
読書をして、感想文を一番多く提出した人に支給します。
多くのを読書で学び成長して欲しいとの願いから作った賞です。
最高は92冊の感想文提出でした。
(この賞金は私のポケットマネーマヌーより)

2011/09/14
勤続表彰

三年、五年、十年、二十年の表彰



長い間、当社グループに勤続していただき、ありがとうございます。


2011/09/14
1984年に創業して28年目になりました。

グループ企業
アルガオートサービス、エーエーエス、ペイウ゛ウェイ、F・H・Aと4社の企業があります。




今日はブエナビスタに於いて創業祭と経営計画もあわせ開催しました。

会社の発展や社員の皆さんの幸せを願い、式典を執り行います



2011/09/01
当社グループは9月が新年度になります。

今回より各社社長からも経営方針などの説明などする事になり、厳しい時代に立ち向かいます。





9月の経営方針共有勉強会

・・・・・・・・・・・・・・・・・・2,011年9月1日
・・・・・・・・・・・・・・・・・・有賀泰治

1、我が国の進むべき道を石原慎太郎氏・安倍晋三氏・中條高徳氏を語っています。

その中から安倍氏の言葉を紹介します。

クリントン政権の時、駐日大使のモンデールが「尖閣は安保条約の対象外」と発言して、その後辞めていきました。

いまは奥さんのヒラリー・クリントンが国務長官になって尖閣も対象内と発言していますが、

これは南シナ海や東シナ海での中国の挙動を見てそう言わざるを得なかったのでしょう。

ここで我々が覚悟をしなくてはいけないのは、尖閣の無人の小さな島に中国が攻め入ってきた時、

総理大臣がアメリカにただ頼んでも、誰も命懸けで守る人間はいないということです。

当然ながら、まずは日本が守るんです。

日本が自分の島を命懸けで守り、その上で中国と事を構えざるを得ないという時にアメリカは初めて日本の側に立つ。

これが日米同盟ですよ。

大切なのは一国のリーダーが絶対に上陸を阻止するという強い決意を示すことなんです。


2、「日本精神(リップンチェンシン)」を心の支えとして、困難を極める改革を成し遂げた氏の人生観。

戦後、台湾を民主化へと導いた元総統の李登輝氏。氏は88年の人生を振り返り、「日本統治下で受けた教育があったからこそ、己の生命と魂を救うバックボーンを得た」と語ります。

リーダー観に迫りました。

人生はまず自分の手近にある義務を果たすことです。

そうすれば自ずから先が見えてくる。

人間や人生の意義は、何よりもやってみること、実践躬行(きゅうこう)するところにある。

そして人間、死んだ気になってやり通せば、どんなことでも成し遂げられないことはない。


3、メダル獲得の秘訣
昨年の世界選手権で32年ぶりに日本のバレーボール界にメダルをもたらした火の鳥ニッポン。チームを牽引した眞鍋監督に、ロンドン五輪に懸ける想い。

その片鱗をご紹介します

チームを強化するために、最初は選手たちの声によく耳を傾けました。

例えば、試合前のミーティングで監督の思いが一方通行になっている。

「こうしろ、ああしろ」と言われて選手たちが「はいはい」と言っているだけ。こういうチームはやはり勝てません。

反対に選手が自分たちの問題点を自分たちで考えて分析し、スタッフと思いを同じくして試合をしているチームは強いですね。

そうすると、昨年から自分の成績に関心を持つ選手が増えて頻繁にスタッフの部屋に行っては映像を見て、

自分で分析するようになったんですね。私はこの差は大きいと思います。


4、『老いの才覚』国家や他者に依存せず、自ら生気を湧出して生きるための心得
100万部を超えるベストセラーになっている作家・曽野綾子さん、ノンフィクション作家のクライン孝子さんと、対談。

一部ご紹介します。

これだけの天災と事故が起きた後で、まだ「安心して暮らせる状況」があると思っているとしたら、あの不幸な事態から、我々は何も学ばなかったことになる。

非常事態になれば、国家が水や食糧を支給してくれる。そんなことは信じちゃいけないんですよ。

私は人生の後半に差し掛かった頃から自分はどういう年寄りになりたいかを折に触れて考えてきましたが、

「老人であろうと、若者であろうと、原則はあくまで自立すること」という根本はいまも変わりません。

いまの若い人には自分の殻から出るのを嫌がる傾向が強いようですけど、それじゃ人生おもしろくない。

私の場合はこれまでずっと小さな危険を担保にして生きてきたと思ってます。


5、震災後の日本において新たな道を切り拓くための要諦が語られています。

ウシオ電機会長・牛尾治朗氏。

経済界のトップを走る牛尾氏の言葉は、経営者のみならず、多くの方々に示唆を与えるものです。

今回の大震災は、決断の難しい時代に入った我々に、追い討ちをかけるような試練をもたらしました。

しかし我々の先人は、自然を克服しようとする西洋文明と異なり、

自然を受け入れ、たとえ災害で家を倒されても、天を恨むことなくその度に立ち上がってきました。

「天を恨まず、苦に耐え、そして明日に向かって働く」

この心がけをもとに、新しい時代を切り拓いてゆきたいものです。


6、ロマンを追い続ける男の中の男に、その生きざま
青森県大間町に、43年間マグロ漁一筋に生きるマグロ一本釣りの達人がいます。山崎倉氏、61歳。直径僅か1ミリの釣り糸で、100キロ、200キロ、時に300キロを超えるマグロを釣り上げる。
並外れた体力、気力、情熱なくしては為し得ない仕事です。

 マグロ漁は毎回が格闘だよ。この前は240キロを釣り上げるのに4時間格闘しました。

300キロを超えたヤツを釣るのがマグロ漁師の誉れなんだけれど、これまで3度その幸運に恵まれました。

そうして46歳の時、初競りで日本トップ。そして翌年もトップになりました。

ところが、その年の9月8日を最後にピタリと獲れなくなりました。9月が終わり、10月が終わり、11月も終わった。

そうして12月27日、111日目にしてやっとマグロ様が餌を選んでくれた。しかも200キロを超える大物です。

(どんなに苦しくとも、この仕事を続けてこられたのは?)

でもさ、逆にその苦労を発散させるには釣るしかないんだよね。

大間の海からマグロが消えた時期、そして110日間釣れなかった時期のことは忘れないもの。

もちろん他のことをやっても一時的には気が紛れるけれど、基本的には釣るしかないんです。

だから、とにかくおっかない商売。だけど好きなんです。

どんなに家族に苦労をかけても、マグロを追いかけたい。それは仕方ないじゃない。


7、「自分の魅力を磨く真髄探究」
ビジネスに「喜びと感動」をもたらす経営指導で高い評価を受ける矢部廣重氏が、“一度しかない人生で大輪の花を咲かせる要訣”を示しています

数か月前にラジオで、「一番よく知っているもの、誰にも負けないほど熟知しているものは何か」というクイズ番組があった。

その中で、ある女優の答えが印象的だった。彼女は、「自分自身」と回答したのだ。これには誰もが同意した。

しかし女優はすぐに、「本当でしょうか?」と皆に問いかけた。

「自分の体の構造図を書いてください」「骨の数と筋肉の種類を教えてください」「臓器の種類、機能、形をご存じですか」……。

誰も答えられない。皆言葉を失っていた。女優は言葉を継いだ。

「自分について知っているのはわずか数パーセントに過ぎません。90パーセント以上は知らないのです。知らない自分とはいったい誰のものでしょうか?」

確かに自分の体でありながら自分の意のままにならないものが多い。心臓は自分が意識して動かしているものではない。

肝臓、腎臓などの他の基幹臓器もしかりだ。誰の命令によって80年も正確に働き続けるのか。

2000年前の古い哲学書には、人生を見事に生き抜く鍵は、自分を知ることだと記してある。

自分を知るとは自分の価値を発見することである。自分という稀有な宝に誇りを持って生きることに尽きる。

「たった一回の人生だ。自分という偉大な花を見事に開かせるぞ」

私は叫んだ。


8、夏の甲子園大会。

① 甲子園常連校で、今大会もベスト16まで進出した智辯和歌山高校も、創部当時は弱小チームだったといいます。創部以来、30年以上にわたって同校を率い、強豪校に育て上げ、甲子園での通算勝利数最多を誇る高嶋仁監督が、強さの秘訣。

目標を達成するには、必死になって毎日練習をするしかないです。練習は嘘をつきませんからね。

きっちりやればそれなりの答えを出してくれます。サボればそれだけの答えしか出ないですよ。

それと“慣れ”ですね。

うちは毎日腹筋を2千回、3千回とやります。皆さん驚かれますが、そんなものはえらいこと何もないんですよ。

慣れたら一緒なんです。「100本走れ」とか「200本走れ」というのも慣れです。

慣れれば、大変なことも超えられるんです。

それから甲子園という目標を遠くに見ない。手を伸ばしたら掴めるものと考えてやっていかないといけません。

目標を遥か彼方に置いたら、やる気が出ないですよ。

だから僕は普段から「甲子園」という言葉をしょっちゅう使うんです。

「そんなんじゃ、甲子園で恥をかくやろ」「そんなんじゃ、甲子園のお客さんが怒るぞ」とね。

僕は「甲子園というものを身近なものにして、手を伸ばして掴め」と言っているのですが、

目標は身近なものにしていくからこそ実現できるのでしょう。


② 被災地となった岩手県代表の花巻東高校は強豪・帝京高校との激闘に競り負けるも、「東北のために」決して諦めない全力プレーは、被災地のみならず全国に大きな感動を与えました。同校を率いる佐々木洋監督がの記事から、その感動の裏側にあったものとは何かを探ります。

※対談相手は、古川商業高校女子バレー部を12回もの全国優勝に導いた国分秀男氏

【国分】40歳を過ぎて、あぁ結局勝敗を分けるのは人間力の差だと気がつきました。

じゃあその人間力はどうやって磨けるのかというと、いまを笑顔で精いっぱいに生きる。

愚痴をこぼさず、仕事に一所懸命に取り組んでいく。そうすると自然と人間力は磨かれていくのではないかと感じますね。

【佐々木】我々はもちろん日本一を目指しているのですが、取り組み方も日本一を目指そうという目標を掲げています。

だから日本一を目指すなら、日本一の全力疾走をしよう、日本一のカバーリングをしよう、日本一の元気を出そうと意識しています。

人間は誰しも程度の差はあっても人生で苦しみや困難に出遭うことがあります。

その時に挫けずに人生をまっとうできる人、自分に打ち克つことができる人。

そういう人が本当の意味での人生の勝利者であり、そういう人間を数多く育てていきたいというのが私の願いです。

そのため、うちのモットーは「野球選手を育てるのではなく、野球ができる立派な人間を育てる」です。

【国分】やっぱり佐々木先生は野球だけをやっているんじゃなくて、そういう人間学の勉強を深められているんだなということと、

ご自身がこういう境地を目指して鍛錬されていることが伝わってきましてね。

だからこそ花巻東は人を感動させる野球ができるんだと思います。


9、諦めない大切さ
宇宙開発を通して多くの人々に夢と希望を与えています。東大阪の町工場でありながら人工衛星の開発を成功させたアオキ社長・青木豊彦氏と、本業の傍ら子供たちに諦めない大切さを伝えるためロケット開発に挑み続ける植松電機専務・植松努氏の対談記事

【青木】よく夢とロマンという言い方をするんだけと、僕は「夢とは実現すること、ロマンとは継続」と思っています。

【植松】夢というのは自分で大好きなことをやってみたいという思いでしょうね。だったらやったらいい。それだけの話です。

大好きなことをしっかり持つには感動が一番です。「やってみたい」「すごい」という心があれば、夢はいくらでも見つかると思いますよ。

でも、その時にできない理由をいくつも思いついてしまうんですね。そして、そのできない理由すら考えなくなる最悪の言葉が「どうせ無理」なんです。

この言葉が人間の脳波を止めてしまう。思考が止まると楽ですが、それだと何も始まらない。

【青木】当たり前やけど、何事も前向きで明るくなかったら物事はうまく運ばないと思いますね。諦めてしまったらおしまいなんですよ。

第一、「どうせ無理」と塞ぎ込んでばかりいたら元気なんか出えしまへんがな。

皆が明るい言葉を使えば、必ず元気になるし、国内に生気が漲ってくる。

その意味でも大阪人の明るさ、情熱といったものを全国に伝えたいと思っているんです。

【植松】僕は「どうせ無理」という言葉が大嫌いです。

この言葉が人の可能性を奪い、その連鎖が正しくて優しくて弱い子供たちに向かうと知っていますからね。

「どうせ無理」という言葉をこの世からなくしたい一念で宇宙開発をしています。


10、「私心」のない生き方
坂本龍馬記念館の館長・森健志郎氏が、坂本龍馬の隠れた魅力について語っています。

坂本龍馬という人物が、当時も、そしていまなお多くの人々から愛されるのは、「私心」のない生き方が感動を与えるからだと思います。

当時、強烈な身分社会の中にあって、多くの志士が「自分は薩摩の西郷隆盛」「長州の桂小五郎」と名乗っていたところ、「俺は日本の龍馬」と言ったのが坂本龍馬でした。

国内で争っていたら外国にやられてしまう。だから、薩摩も長州も幕府も皆で一緒になって新しい国をつくろうと呼びかけ、大政奉還まで漕ぎ着けました。

最近あちこちで「平成の龍馬、出でよ」という声が聞かれます。

しかし、考えてみてください。龍馬だってもともとは地方の一下級武士でした。

その彼が私心をなくし、天下国家のために命懸けで動いた時、日本は大きく変わったのです。

日本を変えるのは政治家でも大企業の社長でもない。いまを生きる誰もが平成の坂本龍馬になれるのです。

11、8月の言葉

悲しみを耐えた人だけに力を与えられる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・松本明慶(大佛師)

必死に取り組んでいれば手を差し伸べてくれる人がいる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・羽中田 昌(スポーツエッセイスト)

変わらぬ理念と、変わりゆく方途
・・・・・・・・・・・・・・・・・・森下洋一(松下電器産業会長)

かなしみはわたしたちを美しくする花
・・・・・・・・・・・・・・・・・・坂村真民(仏教詩人)

心のゆとりとちょっとしたユーモア
・・・・・・・・・・・・・・・・・三宮麻由子(エッセイスト)

リーダーシップとは影響力である
・・・・・・・・・・・・・・・・・井深大(ソニー創業者)

形は心なり
・・・・・・・・・・・・・・・・・岩倉信弥(本田技研工業元常務)

とことん徹底して、事が成るまでやめない
そういう「魔」としか言いようのない情熱、狂気
・・・・・・・・・・・・・・・・・城山三郎(作家)

商売は真剣勝負
首をはねたり、はねられたりするうちに勝つということはあり得ない
・・・・・・・・・・・・・・・・・松下幸之助(パナソニック創業者)

すぐやる、必ずやる、出来るまでやる
・・・・・・・・・・・・・・・・・永守重信(日本電産社長)

新しいものを取り入れるためには
まず古いものを捨てなければならない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・松井道夫(松井証券社長)

積極的な生き方をする人が運を掴む
・・・・・・・・・・・・・・・・・・塚越寛(伊那食品工業社長)

遠きをはかる者は富み
近くをはかる者は貧す
・・・・・・・・・・・・・・・・・・二宮尊徳(篤農家)

長たる者は決断が一番大事である
・・・・・・・・・・・・・・・・・・石橋信夫(大和ハウス工業創業者)

準備、実行、後始末
・・・・・・・・・・・・・・・・・・桜井章一(雀鬼)

想いを高くしなければよい製品は生まれない
・・・・・・・・・・・・・・・・・本田宗一郎(本田技研工業創業者)

準備をするのは言い訳を最小限にするためだ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・イチロー(シアトル・マリナーズ)

プロとは全人生を賭けた負けず嫌いのこと
・・・・・・・・・・・・・・・・・張栩(囲碁棋士)

心がないと人は動かない
・・・・・・・・・・・・・・・・・・樋口武男(大和ハウス工業CEO

物事を実現するか否かは、まずそれをやろうとした人が
出来ると信じることから始まる
・・・・・・・・・・・・・・・・・・永守重信(日本電産社長)

リーダーは時速150キロで全力疾走せよ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・安藤忠雄(建築家)

命懸けの勝負をしているか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・王貞治(福岡ソフトバンクホークス球団会長)

「時計」と競争し、「時計」に勝つ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・大場松魚(人間国宝)

努力の上に辛抱という棒を立てろ
・・・・・・・・・・・・・・・・・・桂小金治(タレント)

信用というブランドを構築するには10年かかる
しかしそのブランドを失うのはたった10秒
・・・・・・・・・・・・・・・・・・藤居寛(帝国ホテル顧問)

人生は自分に与えられた時間をどう生かすか
・・・・・・・・・・・・・・・・・・牛尾治朗(ウシオ電機会長)

負けてたまるかと静かに自分に言いなさい
・・・・・・・・・・・・・・・・・・松平康隆(日本バレーボール協会名誉会長)8/31/11

2011/09/01
一日目 宝剣岳
        ↓







二日目に別ルートから宝剣岳をめざした5人が宝剣岳登頂成功

        ↓










2011/09/01
天狗岩
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三ノ沢岳と木曽谷の雲海
       ↓



中岳より木曽駒ケ岳
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2011/09/01
5時7分日の出、15分くらいに雲の上からお日様が出てきました。

秩父山系のあたりからの日の出です。
           ↓




宝剣岳に朝日があたりだしました。
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プロフィール

有賀泰治

車検の『アップル車検』
自動車販売の『カーベル』
キズ、へこみの『キズナース』
中古タイヤ、カー用品の『ガレージ・オプション』
事故・故障対応の『レッカーサービス』
自動車をはじめとしたすべての損害保険・生命保険の『保険部門』

上質なカーメンテナンスを自社で全て提供する自動車会社
㈱アルガオートサービスは自動車関連の事業を営んでいます。

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