2011/07/30
登山者の道しるべ、道標の修繕
話を聞くと、道標が倒れ、登山者が時折道を間違えてしまっていたそうです。
皆さんは槍ヶ岳山荘で働いているひとたちだそうです。
右の2人は、ネパール人から働きにきているそうです。
↓
槍沢の雪渓から槍ヶ岳
梓川の源流です・・・
↓
播 隆 上 人が1828年(文政11年)に槍ヶ岳の初登頂、厨子を設置し、阿弥陀如来・観世音菩薩・文殊菩薩の三尊像を安置したときに、この洞窟を山頂トライの起点に山頂をめざしたそうです。
↓
↑
播 隆 窟
↓
div align="center">
話を聞くと、道標が倒れ、登山者が時折道を間違えてしまっていたそうです。
皆さんは槍ヶ岳山荘で働いているひとたちだそうです。
右の2人は、ネパール人から働きにきているそうです。
↓
槍沢の雪渓から槍ヶ岳
梓川の源流です・・・
↓
播 隆 上 人が1828年(文政11年)に槍ヶ岳の初登頂、厨子を設置し、阿弥陀如来・観世音菩薩・文殊菩薩の三尊像を安置したときに、この洞窟を山頂トライの起点に山頂をめざしたそうです。
↓
↑
播 隆 窟
↓
div align="center">
自身の登頂のみでは満足せず、多くの人が山頂まで登れるようにするため、その後、何度も槍ヶ岳に登り、その槍の穂の難所に大綱を掛け、また、より頑丈な鉄鎖を掛けるよう尽力した。
コメント追加