有賀泰治の公式ブログです。日々の行動や情報、会社での出来事などを更新しております。

2010/06/30
信州まつもと大歌舞伎《佐倉義民傳》の関連イベントが、街なかの、あちらこちらで歌舞体験できます。

松本城—7月4日11時から
「松本城・市民ふれあい座」「登城行列」

松本市美術館—6月30日から7月8日
「美術館で歌舞伎に出逢う」

松本市立博物館—6月30日から7月8日
「貞享義民コーナー」

まつもと市民芸術館7月2日から8日
「縁日コーナー」

などなどあります。

串田さんを囲み食事を楽しみながら色々なお話しを聞くことができました。



写真は串田和美さんとツーショットです。

斧くん撮影





2010/06/29
松本市民芸術館・串田和美館長を囲み、懇談会


松本の文化の発信元として、松本市民芸術館を中心に活躍する串田さんを応援するために、昨年発足しました。

発起人として参加しましたが、今はどなたも加入できます。


年会費は10,000円で、会の運営だけに使われます。

また、芸術館で公演される演劇などの、稽古などが見学できたり、今回のように、串田さんや劇団員を囲み交流ができます。

稽古見学は、串田クラブの特典です。舞台裏を見学で
きるので本番以上におもしろいですよ!!!!

誰でも、入会出来ますのでお問い合わせは、私か松本市民芸術館へ !

2010/06/29
町のお医者さん


塩野崎ドクターとは年代も同世代、地域での無尽会も一緒。

たまに顔を出します。

写真は

待合室に貼ってある、摂りたい食品番付です、悪玉コレステロールが少ない食品の力士たちです。

哺乳類の肉は有りませんね。

前に聞いた事があります。
人間から、なるべく遠くの食物を摂取することが、健康への近道。
日頃からバランスの取れた美味しい食事をとることで病気を予防し、治療できます。


『医食同源』


ですね

2010/06/29
友人の蔵岡久男さんの会社、株式会社フィールド・オブ・キッチンの経営計画発表会に招待され出席しました。

自社の経営計画を社外の人を招き、公開で発表。


企業を取り巻く全ての皆さんとのパートナーシップを大切に共に成長する企業を目指すとのこと。

また、社員のご家族も招かれ開催されました。

社員とそのご家族に物心両面で幸せになってほしいとの、蔵岡社長の思いが伝わります。


社外の人や、ご家族を招待したからには、社長の思いに迷いはないとおもいます。

経営計画に沿った、いい会社を創造して下さい。


テーマ

『発進 !! 感動創造』

2010/06/26
収穫後のジューンベリーです。

春には、薄ピンクの花が咲き、6月に小さな可愛い果実がなり、夏には葉が繁り日陰をつくります。
そして、秋には紅葉となり、一年中楽しめるジューンベリーです。

アメリカ原産で、いま一番人気の庭木だそうです。




次は紅葉が楽しみです。

2010/06/26
《ジューンベリーの果実》

今年、春先にネットで購入して、植えたジューンベリーの株立に果実がなり収穫しました。

樹高2メートルほどの大きな苗木を購入したので、植えた初年度から写真の位収穫出来ました。

実はとても甘く小鳥たちも大好物で、庭に小鳥達が集う、バードガーデンができました。

ジャムしてみようと思います。

2010/06/25
総会に合わせて第5回、役員会も開催されました。

私も2期4年役員を務めましたが、今回をもち退任します。

総会では2009年度の事業報告や決算報告がされました。


特に長野県協議会の全労済自賠責保険の取り次ぎは北海道を追い越し、全国一になることができました。

昨年度、全国大会を長野県で実施するにあたり、キャンペーンを企画したことが良い結果を生みました。

2010年度の事業計画や予算や、その他の審議事項も無事承認されました。


その後、実績優秀事業所の表彰


優秀企業の経験発表もあり有意義な総会となりまさた。

2010/06/25
松本空港ロータリークラブ

新入会員の歓迎会


今回は5人の新人の歓迎会になりました。


左から村上さん、鈴木さん、新井さん、その隣が7月より会長になる青森さんです。
そして、走川さん、佐々木さんです。


今期は10人が新人として入会され、クラブの会員数も61人になり、長野県下二番目のクラブに発展しました。

更に唐沢ガバナーも輩出し、6月で無事任期を終了します。

我がクラブも歴史を積み重ね、人員も増え元気になってきました。
皆さん立派な経済人です。
仕事を頑張り、その中から社会に貢献することが一番です。

2010/06/23
長野銀行の後援会《ながぎんアルプス会》の総会がブエナビスタで開催されました。


総会も無事終了し懇親会の写真です。


長野銀行さんも、明後日の株主総会に於いて、田中頭取が会長に、中條常務が頭取にと昇任され、新体制になります。

田中頭取は在任14年、長野銀行を東証一部上場の旗振りをされるなど、長野銀行や我々後援会発展の為にご尽力頂きました。

中條常務は長野銀行創業60周年の節目に昇任され、経済状況の厳しい中での就任です。また、今までは大蔵、日銀からの頭取就任が慣例であったが、中條常務は一行員からの叩き上げでのトップ就任としては初めてのことです。
強いリーダーシップを発揮され引き続き長野銀行及びながぎんアルプス会会員発展のため頑張って頂けることを願います。


お話しを伺うと

重責と地域の皆さんの期待の大きさに、緊張と秘めた闘士が伝わってきます。
よく、街角でも奥さまと買い物姿をお見掛けします。
庶民的な一面もお有りな中條常務にエールを送ります。



追伸

当社グループは長野銀行松本東にて、お付き合いいただいています。各支店から後援会会員がでていますが、どうも東支店は企業取引が少ないのか、後援会役員として私が選出されていまして、今回の懇親会の司会も務めさせていただきました。


2010/06/22
フェリーの車両甲板です

海なし県の信州人にとっては、フェリーはほとんど馴染みが無いので、内部の広さだけでも驚きです。

少し小型のフェリーですがこんなにも広いです。

乗用車やトラックが何十台も載っています。

2010/06/21
この人がうるさい

(´・ω・`)


寝付きもよく、寝たとたんに大イビキ

もう一人いますので大合唱になります。
おもわず、他の船室に避難 !


このフェリーの二等船室は自由なので他の部屋に行って寝ることもできます。


2010/06/21
小樽 から 新潟までフェリーで海上を行きます。

午後7時30分出航、新潟には翌日の午後3時30分に着きます、20時間もかかります。


行きは太平洋フェリー、帰りは新日本海フェリーでしたが、フェリー内の施設はだいぶ差があります。



太平洋フェリー・船名“きそ”は今までのフェリーの中で一番素晴らしかったです。

2010/06/21
五郎が純と蛍を連れて、東京から戻った時に住みだした家。


純 が

『電気もない、テレビもない、夜はどうするんですか !』


五郎

『暗くなったら、寝ればいいんですょ』


2010/06/21
石の家 の前にて



石の風呂は、大きくしっかりしていました。
中は今も人が住んでいる感じを残しています。

2010/06/21
案内文には


《五郎さんが今も住んでいます、生活の邪魔をしないでください。静かに見学してください。》

2010/06/21
まるちゃんは、《北の国から》の大ファンのようです。
出発まえにテレビで放映されたドラマをもう一度DVDで観てくるほど気合いがはいっています。


私が北海道の人に、富良野に行くと言ったら・・・

『あそこは なんも無いから !』

と言われましたが・・・

まるちゃん いわく

『そんなことありませんよ、二日間くらいかけて富良野は回りたいですね、中にでてきた、小路や風景を一つ一つ確かめ巡ってみたいです。ホントに二日はかかりますよ・・・!』





『ほぉー すごい !!』




写真は記念館の舞台セット前にて丸山裕一さん

2010/06/20
1981年からフジテレビのドラマとして制作放映された、『北の国から』ですが、実は私は一度も、このドラマを見ていません。



せきちゃんとまるちゃんはストーリーを話ながらの富良野見学です。

2010/06/20
富良野の《北の国から・資料館》


フジテレビのドラマ、北の国からのロケ、撮影のエピソードなどの展示がされていました。


2010/06/20
札幌夜間例会はすすき野の《かに本家》にて、写真はゲストの小田中豊治さん。


飛行機組とバイク組が合流して夜間例会になります。
西南RC.塩尻RCのメンバーも参加して、30人をこえる例会になりました。




飛行機組はゴルフを楽しんできました。


小田中さんはゲストで参加していただきました。

ニアピンもゲット !!

2010/06/20
札幌オリンピックが懐かしい。!


大倉山シャンツェ・ラージヒルをバックに記念撮影

私の向いている方向は札幌の市内が一望できます。




笠谷選手の金メダルが今も昨日の事のようです。




関ちゃん、丸山くんは、その頃、小学校の低学年だったと申しております。

2010/06/20
札幌 羊ヶ丘、クラーク博士の銅像です。


『少年よ、大志をいだけ』

2010/06/20
桟橋からオコタン野営場


水の透明度もよく、澄み透っています。

レジャーボートなどは使えませんが、釣り船、カヌーはOK

ゆったりしたキャンプ場です。

奥には、昔ホテルだった建物がありキャンプ場の管理棟として使われています。
その周辺はテントを設営するように整備され、昼の時間ですがテントを張り野営の準備をしている人たちが大勢います。


2010/06/20
北海道に来ると、必ず食べるのは海鮮ものかジンギスカンです。


いままで、サッポロビール園や滝川で食べた事がありますが、ここでのジンギスカン鍋は過去 NO1 の味でした。


うまい !

2010/06/20
支笏湖オコタン野営場でお昼


《ジンギスカン鍋》をゆっくりいただきました。

2010/06/19
苫小牧から支笏湖へ

一直線の道路


本州では高速道路でもあまり一直線道路はありませんね、ついスピードが出てしまいます。

支笏湖の湖岸を走行して、野営キャンプ場へ

2010/06/19
朝食の時間が終わった9時半より、船内ロビーでピアノコンサートが開かれました。


チョットした豪華客船気分になります。




もうすぐ下船です。


意外なサプライズでした。

2010/06/18
フェリーの中でライブ

フェリーの中に100席ほどのライブハウスがあります。



《後藤優子》という仙台を起点に活躍中の歌手のライブが無料で楽しめました。




松本からは空港ロータリークラブの有田幹事が、明日は雨のため飛行機が、飛ぶとか、飛ばないとか ! メールがきます。!


私の返事は


『根性で飛ばして来い!』


です。 (o・v・o)

2010/06/18
フェリーの中のお風呂はサウナ付き
風呂上がりに乾杯

(^з^)-☆Chu!!

バイクで松本から、540km 少しつかれました。

風呂上がりの乾杯は 《旨い!》



左から まるちゃん、こうちゃん、せきちゃん でした。

・永田くんは 急用。
・亀原くんは ニューヨークへいちゃいました。
・永原くんはアクトのグラジェーション
・斧くんはアクトのアシスタント

で参加出来ませんでした。


2010/06/18
船内もオシャレ


タイタニックみたいに、タキシードが必要な感じ


凄い !

2010/06/18
フェリーの中です。


いままでのフェリー中で多分一番大きそうです。

船内が霞がかかっています。


左側はバイクを固定しているところです。


2010/06/18
仙台港より北海道・苫小牧までフェリーで行きます。


右がこうちゃんこと伊原甲一くん
左はまるちゃんこと丸山裕一くん


後ろのフェリー、でっかいですね !


まるちゃん !
『フェリーは初めて乗るので、ドキドキしちゃいます!』

こうちゃん !
‘昨日、伊豆で会議だったので、松本から伊豆までバイクで行き、今日は宇都宮で合流しました’

2010/06/18
仙台まで来ました。


仙台名物の“牛タン”をゲットしてフェリーに乗ります。

2010/06/18
はじめて食べました。

《餃子丼》


名物の餃子を どんぶり にしています。
栃木県宇都宮まできました。


カッ丼のような!親子丼のような !

ケッコウいけます
(o^-^o)




何故ここにいるかは、
明日、札幌で空港ロータリークラブの空港利用促進の移動例会が開催されます。
RC・ツーリングクラブの《エスカルゴ》のメンバーは飛行機を使わず、バイクで北海道へ行きます。

これから仙台港に行きフェリーで明日の朝、苫小牧に着きます。




写真はいつもの せきちゃんです

2010/06/17
かつて並柳は日本でもセロリーの出荷高が全国のトップだったころもありました。

現在の並柳はロードサイド店やアパートが立ち並ぶ商業地域に変貌しています。

我が家でも、4~5年程前までは栽培して、出荷もしていました。
今は全く栽培していませんので、近くにある農協の出荷所からわけてもらいます。

今頃、出荷されるセロリーは昨年に種まきし、正月頃には植え替えして、出荷までには三回ほど植え替えをするほど手間が掛かります。
そして、取り入れ時期になると、写真のように大きくなりますので、かなり重労働です。

郊外の商業化、農家の後継者問題もあり、並柳で専業農家をしている家は一軒もない状態になりました。


かつて、最盛期になると、周辺から並柳に入るとセロリーの臭いが漂うほどでした。

今は幹線道路より脇道に入ると、数件の兼業農家が栽培しているだけです。


この村も大きく変化しました。

2010/06/15
二人とも真っ赤か!になってご機嫌です。

年度の打ち上げですので、多めにお酒が入りました。





有川英三さん
並柳と城西にあるオプトアルファーの社長さん。慶應ボーイのジェントルマン、お品の良さがにじみ出ています。



今日は、お品がチョット無い私です。


2010/06/15
橘 昭雄会長、有田一男幹事 年度もこの6月をもち無事終ります。

会長・幹事殿、大変ご苦労様でした。

また、今年度は唐沢ガバナーも我がクラブから輩出しました。

一年間大忙しのクラブでしたが、皆さん、協力しあい大変よくまとまりました。
ご苦労様でした。



私も親睦委員長を務め、会員の協力のもと、活発な委員会活動ができました。

皆さんに‘感謝’

2010/06/15
明神館さんにて《全労済指定整備工場協議会・役員会》が開催


会議の前に、明神館の齋藤茂行社長(シゲさん)に講演をしていただきました。

扉温泉明神館は関東甲信越でNO1の旅館として有名です。

日本はもとより、アジアやヨーロッパからお客さんが来られるほどです。

講演ではその秘訣をお話しいただきました。
何時でも時代の変化はあるが、特にリーマンショック以降は利用されるお客様の流れが変わった。



1、時代の変化や環境に適応した者だけが残る。
強いだけではダメ

2、1分で決算書を読め会社の収支が分からる経営者でなでなければならない。


3、安いものを求めるだけでは豊かな経済成長はおきない。良いものを求める、そこに差別化した商いもある。

などなど・・・・・・




シゲさんと私は、25年ほどお付き合いしていますが、バイタリティーと発想の豊さは相変わらず変わりませんね。


お付き合いを始めた頃、明神館には東京と大阪に自社の営業所があり、そこを起点に月のうち何回か営業活動をしていると話を聞いた事がありました。

松本の田舎にある温泉旅館が大都市に営業所をもち、独自に営業活動をしているときいて、大変驚いた事を思い出します。

その後のお付き合いの中でも数々の発想は目を見張るものがありました。

ブログだけでは紹介しきれませんので、皆さん明神館に行って利用してみて下さい。

そして、社長さんや女将、スタッフに会ってみるといいですよ !



その後、全労済指定整備工場協議会の役員会が開かれ、こちらも前向きな議論がかわされました。

2010/06/14
左の方、この人を応援することになりまして、今日は長野より電車で皐月会に来ていただきました。
元長野県副知事で元横浜市副市長、内閣府にもいました。S.Aさんです。

右の方は皐月会のメンバーで、わが社グループの顧問弁護士 H.Aさん

二人は東大の先輩後輩でもあります。



S.Hさん
8月4日にあるであろう、長野県知事選に出ます。
皐月会の皆さんより意見を聞き、県政に取りいれていきたい。

経済の活性化と市民に豊かな暮らしをして頂くように頑張りたい!
具体的には長野県にある先端技術を官民協力しあい、経済の活性化につなげていきます。
そして、新しい雇用が生まれるよう考えます・・・・・・

皐月会メンバー一人一人と意見交わしていました。




H.A弁護士
2日にあった、皐月会と萩原県会議員のゴルフコンペ(200人以上の参加者)でニアピンを奪取しまして、上機嫌・・・・・・

さらに、S.Aさんも頑張って知事になって下さいと、万歳のご唱和・・・・・・

\(^O^)/





皐月会は有賀正元松本市長が長野県会議員の時より応援して、市長になるためバックアップした会で、25年以上続いている会です。
まだ元気な有賀 正さんをその後も囲み集まっています。
政治や選挙などにも関心のあるメンバーも多く、時折、この様な政治を志す方々がお見えになります。




子供達によい国を残せるように、政治を志す人に頑張ってもらいたいものです。






有賀 正 談

「政治家は市民が選ぶもの。市民以上の政治家は育たない!」



2010/06/13
《とんかつ和幸》

最近、肉は食べなくなってきましたが、東京駅八重洲口方面にくると《和幸》に足が向いてしまいます。


まず、ご飯が旨い、味噌もなかなかです、キャベツも柔らかく何度も御代わり OK

そして、カツ はうんと旨い!

1時を過ぎていましたので並ばなくてもすぐに店内へ入ることができました。

《和幸》は関東に何店舗もある、トンカツ店ですがどこもクオリティーが高く美味しいですね 。








《リンパテーピングセラピー》

八重洲口近くにあり、松本のヴィラデ・マリアージュさんが経営しています。
今回、斧さんに紹介され立ち寄ることができました。

また、このリンパセラピーは身体の痛みを取るのに、凄く効果がありました。
腰、腕、肩の痛いところが軽くなりました。
続けると頭髪もフサフサになるとか !!


斧さんご紹介、ありがとうございました。
2010/06/12
靖国神社は九段坂にあります。


靖国神社神社は明治2年が始まりで、
国を守るために尊い命を捧げられた方々の御霊を慰め、永く後世に伝えることを目的に創建された神社




靖国神社問題などといろいろありますが、

先ずは国のために戦死した人々に合掌




靖国神社については、歴史観や宗教観によってそれぞれに考え方があると思います。







私の歴史観

16世紀の大航海時代、中・南アメリカでの植民地は惨憺たる光景が進行。
スペインの植民地政策は略奪と先住民の奴隷化でインディオの人口は急激に減少した。

「十年程まえ南米のアルゼンチン、ペルーを訪問しましたが先住民であるインカ人数百万人がスペイン人によって殺されたか奴隷になって滅びてしまってる様を見てきました。」

また、それが15世紀末頃からポルトガルなどで行われていた、アフリカの黒人奴隷供給に拍車をかけ、植民地での先住民の奴隷制が発展した。

黒人奴隷はアフリカで捕らえられ400年間で1億人もの黒人が犠牲になったともいわれます。

その後、スペイン、ポルトガルにかわってオランダ、イギリス、フランスが新たに植民地争奪戦に登場して、アジアに目が向きイギリスはインドやビルマを植民地化した。
その頃、産業革命が進行し、植民地にも大きな変化をもたらし、綿花やアヘン、茶などの輸出に頼らざるをえない社会に変容させた。
イギリスはアヘン戦争によって中国を半植民地とした。
19世紀資本主義の発展は著しく、ヨーロッパ列強と後進諸国との格差をひろげた。
また、トルコ帝国内の諸民族の独立運動と列強の介入の結果は、トルコの支配下にあった諸民族をトルコの専制統治から開放したかわりに、新たにイギリスの従属化に置き換えた。

アジア諸国は列強の植民地となるが、日本だけが植民地化を免れた。

それが、いま、はやりの坂本竜馬や西郷隆盛が登場する日本開国から始まる明治維新の時代であった。


その頃、この靖国神社が創建された。

第二次世界大戦まで植民地は画期的な意義をもったが、列強各国の植民地戦略を終焉させた。


日本も専守防衛、国民の人権を守るとして、富国強兵を旗印に多くの戦争を繰り返してきたが、大東亜戦争へと向かってしまい敗戦した。



靖国は国の号令の元、戦死したら軍神と奉り、若者を戦争に駆り立てるためにあった時代もあった。
また、二度と不幸な戦争はしない、子々孫々まで平和であってほしいと願う。
この二義的なものもある。



ともかく、国や家、妻子のためと亡くなった方々に、合掌


2010/06/12
東京の九段坂病院は整形外科が特に有名


今回、有田さんの知人ドクターから紹介を頂き診察に行ってきました。

紹介されたのは整形外科医長の中井 修先生(名医です)

今回は腰痛のためににきました。
昨年撮ったMRIのフィルムを持参しましたが、ここでもレントゲン撮影をして、新たに診断をしていただきました。

レントゲンの撮影方法も今までとは違い、立ったままで、普段の姿勢に近い方法や、腰痛が起きそうな姿勢に身体を動かしておこない、日常的に自然な姿勢で撮影して診断するとのことでした。

なるほど !!


しかしながら、あまりはっきりしないため、次回、この病院でもMRIを撮り直して再診察する事に決定


中井先生、次回の予約は8月末とのこと、有名医ともなると予約しても次回はかなり日があきます。

2010/06/10
同期生のコウジくんと孫の 翔乃 くんです。

会社に訪問したら、二人でお迎えいただきました。



このじぃじ!

コウジじぃじがうるさい。

会話ですぐ口をつくのは翔乃くんのはなし、笑った、泣いた、風呂、オムツ・・・と、

ひっきりなし



次女、宏美さんの長男で初孫

翔野くんが うんと ! うんと ! うんと ! かわいくてしかたないらしい!


2010/06/09
ブログの話になりました!

菊地さん

『私のブログは有賀さんの遊んでばかりいる内容と違い、《まじめな》仕事や研修の内容ばかりです !』


『え ! 菊地さん ! ブログやっているの ! 』


《クル修ない健ちゃんブログ》で出ているとのこと


なるほど、さすがに自動車の板金塗装コンサルタント・菊地さん、私のブログとは趣がちがいます。


でも!
『遊んでいるばかり!とは失礼な (-_-) 』

『 m(__)m ・・・』

などと会話があったところです。




しかし、

今日はアルガオートサービスとペイヴ・ウェイの東にある 《D2さん》の所に《ツルヤさん》が出店して来た場合、わが社の店舗作りについてアドバイスを頂くために、ケンテックスの菊池健三さんにワザワザ横浜から来ていただきました。


写真は左が菊池健三さん、右が政揮社長です


2010/06/06
早朝6時より、町内一斉草刈り

田川、牛伏川、和泉川沿いの土手を草刈りします。


並柳はこの三本の川と弘法山に囲まれています。



川沿い道路の草の中には、空き缶やタバコの吸い殻などが投げ捨てられています。

これでも昔に比べればかなり少なくなってきています。

日本人の環境意識も向上してきているのが感じられます。


2010/06/05
写真は6月誕生日の今井社長と黒木 舞さんです。


吉池さんも6月でしたが欠席ということで、私と今井さん黒木さんの三人での‘こめ会’です。


ロータリークラブ後輩の伊藤社長経営の‘新みよし’さんにて開催。





‘新みよし’さんは松本の裏町にあった割烹料理屋の老舗です。
時代の変化と共に、店舗を松本の駅前に移転、食も串揚げや焼き物などを提供していましたが、ここ‘新みよし’では さくら料理(馬肉)にこだわった店にして、連日の盛況です。

裏町の老舗割烹から、駅前の さくら料理店にチェンジした成功例ですね、参考になります。

伊藤さんは、“みよし”現代版復興の『夢』があるそうです。
頑張ってください。

本日も大変サービスしていただきました。ありがとうございました。


2010/06/04
経営方針共有勉強会は“気付き”の時間です


『気付きの差で人生に差がでるようだ ・・・』
・・・・・・・・・・・・・・・黒田クロ

2010/06/03
三日目の経営方針共有勉強会

ブログ一日目に添付した、資料は事前に社内メールしてあります。
読んできた人に手をあげてもらってます。


共有勉強会は“考え方”気付きの時間です。
仕事や人生において、“考え方”は
その人の仕事の成果や人生の豊さ、その方向を示したり変えたりするものです。



“素直で前向き”に !!

2010/06/02
経営方針共有勉強会を済ませツーリング。

長野道の姨捨SSに9時2分集合。
私は18分遅刻してしましましたが、皆はコヒーを買って待っていてくれました。


《エスカルゴ》(松本空港RCのツーリングチーム)の新メンバー丸山裕一さんが大型自動二輪の免許を取得。

今月、北海道のRC移動例会にバイクで参加するための“慣らしツーリング”を決行。

初参加の亀原和成さん、大型免許取得後初ツーリングの丸山さんと、
いつものメンバー永田さん、関さん、私、5名で行ってきました。

松本 ⇒ 中野 ⇒ 志賀高原 ⇒ 白根山 ⇒ 草津温泉 ⇒ 上田 ⇒ 東部町 ⇒ 丸子 ⇒ 三才山 ⇒松本 ⇒ 反省会

↓ 姨捨SSに集合



↓ 大型免許取りたての丸山さん
 
(写真、手前のバイクは私の愛車“ドカ”です。



↓ 料金所を通過



↓ 草津温泉にある大露天風呂、入浴料500円なり


↓ 初参加の亀原さん、チャーターメンバーでしたがさぼっていました。
草津で立ち寄ったお蕎麦屋さん、、でっかい皿に食べきれないほどの大盛り、天婦羅も大盛りで、メニューからは想像できず、お店の人に過少表示のメニューですねと嬉しい悲鳴・・・・・

美味しくいただきました。


↓ 休憩
(左から、私と“ドカ”、関ちゃんと“隼”、永田くんと“BMW”)
2010/06/01
庭にある20本ほどの薔薇がもうすぐ満開です。

毎年、徐々に大きくなり成長が楽しみです。

薔薇の香りも強く漂うようになってきました。

2010/06/01
初日ですが少人数です。
早朝は四回開催しますので、それぞれ勤務日などに合わせて、参加しています。

全員社員参加が原則です。





経営方針共有勉強会

・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・平成22年6月1日

1、『不要不急の営業』人間関係築く

ある呉服店がかつて飛び込み営業をしていた頃の子と。
営業先に成人式を迎えた娘さんのいる女性の見込み客がいた。仮にHさんとしておこう。
店主は当時、Hさん宅を何度か訪問し、人間関係を育むためニューズレター(以下NL)も毎月送っていた。
しかし、反応はかんばしくなく、Hさんは「まったく着物には興味はない」と言う。元来着物への愛着とこだわりをもって商売をしている店主は、この方とは価値観が合わないのではと思い始め、ついには訪問やNLの送付をやめて、店の名簿からも削除した。
そらから五、六年経ったある日、店に突然Hさんから電話がかかってきた。
「Hですがご無沙汰しています。覚えていますか?」と彼女は言う。
これに続いた言葉は意外なものだった。
「以前来て下さっている時は用事がなかったのですが、娘のお嫁入りが決まったので、着物を用意していただけますか?」。
その後Hさんは娘さんを連れ立って来店し、さらには他の着物のシミ抜きや仕立て直しなどありがたい商いにつながった。
 商談が終わりお茶を飲んでいる時、店主は勇気をだして気になっていたことをきいてみた。なぜ自店に電話してくれたのか、と。
「そちらのチラシを家に置いてあったのです。何か用事があるときは電話しようと思って」
 このエピソードかわはさまざまな学びがある。言葉を借りれば、まず価値観が違うという判断は早合点で間違っていた、ということ。NLや訪問を通じて自店のことは理解していてくれたのに、当時はただ用事がないだけだったのだ。そして、必要でないときは営業よりも人間関係の構築に努めるべき、ということがわかる。彼も大いに反省した。
『商いとは目先のものではなく、育むものである』
オラクルひと・しくみ研究所 
小阪裕司


2、「商いは“始末”が大事」
幼い頃、父と一緒に行った近所の風呂屋で、こんな話をしてもらったことがありました。

「新しい手拭いで顔を洗ったら気持ちええやろ。でも汚れて薄くなったからと言って、すぐに捨てたらあかん。 折り畳んで縫えば、雑巾になる。

 その雑巾がボロボロになったら、干して機械の油拭きにすればいい。その油拭きは火にくべるとよく燃えるから、風呂を炊く時に使えばいい。

 そこまで使い切ってやっとお終いや。だから新品を下ろす時には、ほんまにいま、それを下ろさんとあかんのかをよぉく考えなさい。
 新品を下ろす時が『始まり』で、捨てる時が『終わり(末)』。
だから『始末』と言うのや。この始末をしっかりするかせんかで、大きな違いが出てくる。

この時は洗い場の曇った鏡に指で、ある時は火鉢の灰に火箸で字を書くなど、父はその時その場に応じた分かりやすい例え話を用いながら、商いの心得を聞かせてくれたのでした。

『致知』2009年10月号
「三百年続く老舗の訓え」の中から、
京都で麩屋を営む半兵衛麩(1689年創業)
玉置辰次(半兵衛麩第11代当主・会長)



3、“真剣”だと“智慧”が出る。
“中途半端”だと“愚痴”が出る。
“いい加減”だと“言い訳”ばかりが出る。

「今の若者は恵まれ過ぎているのかもしれません。なにくそ負けるもんかという強い氣持ちが必要な時代です。これは人生も企業経営も同じではないでしょうか」
(内山力夫氏談)


4、「イチロー選手の目標設定術」
オリックスで打撃投手を務めていた頃、不調に陥った選手に

「投げましょうか?」

と声を掛けると、ほとんどの場合、
「頼む」
と答えが返ってきた。
練習することによって、少しでも不安を取り除きたいと思うのが人情というものだろう。そんな中、私の申し出に一人だけ首を振った選手がいた。
当時二十歳だったイチロー選手である。試合後にその理由を尋ねてみたところ、彼は
「僕はこんな心境で試合に臨みたいんです」
と言う。
「どんなに好きな野球でも、毎日続けていると、もう疲れた、きょうは嫌だなと思う時ってないですか?そうなっては、自分の能力って絶対に発揮できないですよ。バットが持ちたくて持ちたくてしょうがない。そういう心境で、僕は試合に臨みたいんです」

そして彼はこう後を続けた。
「初めてお父さんとキャッチボールした時、どんな気持ちになりましたか? またやりたいなと思ったでしょ。その気持ちなんですよ。そういう気持ちが自分でしっかりつくれれば、絶対に技術って向上していくと思いますよ」
 

イチロー選手のプロ入り三年目の年、彼の専属打撃投手となった私は、寮生活で一年間寝食をともにし、多くのことを教わった。

* *

彼と初めて出会ったのは、私が二十歳、彼が十九歳の時だった。

初めてそのバッティングを見た時、年下にこんなに凄い選手がいるのかと舌を巻いたが、最も驚いたのは、彼が一軍に上がってきてからのことだった。

キャンプ期間中、二軍でプレーしていたイチロー選手は、夕方に練習を終えると、早々に眠りに就いた。そして皆が寝静まる深夜にこっそり部屋を出ると、室内練習場で数時間の特打ちをするのを日課としていた。

ところがシーズンが始まり、一軍入りを果たした彼は、全くと言ってよいほど練習をしなくなってしまったのである。不思議に思って尋ねてみたところ

「体が疲れ過ぎるとバットが振れなくなるから」

とのことだった。
一軍でまだ何の実績もない選手が、自分のいまやるべきことは何かをちゃんと理解して行動している。

私の知り合いにもプロ入りした者が数名いたが、彼の取る行動や言葉のすべては、他とは一線を画すものだった。

例えばこんな調子である。

「奥村さん。“目標”って高くし過ぎると絶対にダメなんですよね。必死に頑張っても、その目標に届かなければどうなりますか? 諦めたり、挫折感を味わうでしょう。それは、目標の設定ミスなんです。頑張れば何とか手が届くところに目標を設定すればずっと諦めないでいられる。そういう設定の仕方が一番大事だと僕は思います」
 
二軍時代のイチロー選手は、マシン相手に数時間の打撃練習をしていたが、普通の選手に同じことをやれと言っても、それだけの時間、集中してスイングすることはできない。

それがなぜ彼には可能なのかといえば、私はこの「目標設定の仕方」にあるのではないかという気がする。

イチロー選手には自分にとっての明確な目標があり、その日にクリアしなければならない課題がある。

その手応えをしっかりと自分で掴むまで、時間には関係なくやり続けるという練習のスタイルなのだ。

私が彼の基盤として考えるもう一つの要素は、継続する力、つまりルーティンをいかに大切にしているかということである。

ある時、イチロー選手にこんな質問をしたことがあった。

「いままでに、これだけはやったな、と言える練習はある?」

彼の答えはこうだった。

「僕は高校生活の三年間、一日にたった十分ですが、寝る前に必ず素振りをしました。その十分の素振りを一年三百六十五日、三年間続けました。これが誰よりもやった練習です」

私は現在、少年野球チームの監督を務めているが、それと比して考えてみると、彼の資質がいかに特異なものであるかがよく分かる。

例えば野球の上手な子にアドバイスをすると、何をやってもすぐできるようになる。下手な子はなかなか思うようにいかない。

ところが、できるようになったうまい子が、いつの間にかその練習をやめてしまうのに対し、下手な子は粘り強くそれを続け、いつかはできるようになる。

そして継続することの大切さを知っている彼らは、できるようになった後もなお練習を続けるため、結局は前者よりも力をつけることが多いのである。

その点、イチロー選手は卓越したセンスを持ちながらも、野球の下手な子と同じようなメンタリティを持ち、ひたすら継続を重ねる。私はこれこそが、彼の最大の力になっている源ではないかと思う。

二〇〇〇年に結成した私の少年野球チームは当時九名の部員だったが、現在百名を越える数になり、その中から多くの甲子園球児が生まれていった。現在、プロで活躍している田中将大投手もその一人である。

彼らには自分がイチロー選手から学んだことを折に触れては話し、野球に取り組む姿勢としてそれを生かしてほしいと伝えてきた。

自分で目標を持ち、それに向けての継続を怠らなければ、必ず次の段階へと自分を
押し上げていくことができる。

そしてそれは、人生を生き抜く力にも繋がっていることを、野球を通して伝えていければと考えている。
奥村幸治(NPO法人ベースボールスピリッツ理事長、宝塚ボーイズ監督)
『致知』2010年6月号「致知随想」

5、「自立型人間の誓い!」

自立型人間は、
・自分の生活の安定と将来性を他人や会社に期待しません。
自分の人生は、自分で考え自分で創ります。
すべてが自分の責任であることを知っているからです。
自立型人間は、
・自分の可能性を最大限に発揮します。
時代の変化は自立型人間にとって活躍の舞台です。
様々な社会の問題は、自分を活かすチャンスであることを知っているからです。
自立型人間は、
・自分自身を信じ、今できることから全力で取り組みます。
今できる小さなこと、それが社会全体を変えていくきっかけであることを知っているからです。
自立型人間は、
・できない言い訳はしません。
やると決めたらどうしたらできるか、だけを毎日考えます。
それが不可能を可能にする秘訣であることを知っているからです。
自立型人間は、
・目標を決して諦めません。
弱音を吐かず、失敗を糧(かて)にし、どんなに厳しい状況でも乗り越えて
いきます。苦しい時ほど、自分が成長していることを知っているからです。
自立型人間は、
・社会や他人のために、自分が、何が出きるかをいつも考えています。
報酬はどれだけの価値、感動を相手に与えられたかの結果であることを知っているからです。
自立型人間は、
・楽な人生よりも、充実した人生を選びます。
いつも明るく輝いて、生きている喜びを実感しています。

エライ人の言葉:
『人間を目標に向かわせるパワーは、「自分はそれを達成できる」という信念から生まれます。 疑いや恐れは、その信念にとって最大の敵です』

今回の元氣のでるニュースを読まれた方全員がこの誓いを心から立てられたら嬉しい限りです。
私自身も「自立型人間の誓い」を立てます。

6、縁を生かす秘訣
思い起こすのは、宗派は違いますけれども、臨済宗妙心寺派の管長をされた山田無文(むもん)さんです。

この方は若い頃に粗食に耐えながら厳しい修行をして、肺結核になってしまいました。

いい薬もない時代でしたから、故郷に帰って静養に当たることになりました。

無文さんが縁側にたたずんでいた時、風鈴が鳴ったんですね。

風鈴はなぜ鳴るのか。風が吹いたからだ。風とは空氣が動いたんだ。
そうか、空氣さんがあったのかと、その時心から空氣に感謝したといわれます。

そうして、
「考えてみれば、寝ている時でもいつも空氣が包んでくれておった。その空氣さんに自分は一度も感謝しなかった。空氣さん、ありがとう」
と深い深い感謝の念を持たれたところ、その日を境に見る見る回復して、最終的には90歳近くまで長生きをされました。

おそらく深い感謝の念によって免疫力が上がったのではないかと思うのですが、それも風鈴の音という、本当にわずかな縁を自分のプラスにされた。

絶えず何かを求め続けることが縁を生かすことに繋がっていくのかと思います。

月刊『致知』(ちち)掲載のものです。
6月号では、薬師寺長老の安田暎胤(えいいん)師が、についてお話しになっています。

7、「一秒の言葉」の話です。

来店してくださる65歳くらいの品の良い女性客です。そんなお客様に、「一秒の言葉」の詩を印刷した用紙を
「なかなか味わいのある詩ですがいかがですか!」と手渡しました。
お客様は受取った用紙に目を落として、しばらくしてから
「わたし、この詩の中にある『さようなら』に感銘を受けたわ」とちょっと涙っぽくおっしゃったのです。
「何かありましたか?」とお聴きしました。
「実は89歳になる私の母が市内に住んでいるのです」
「その母に会いたくて時々実家に里帰りしているの」
「そんな母が私と別れる時にいつも『おまえとはこれが最期になるかもしれないから、さようなら』と言われてきていたの」

「いつもそう言われて何か縁起でもないと思い『なに変なこと言っているの』と内心反発していたの」
「でもこの『一秒の言葉』の中にある『さようなら』を見て母親の心情(これっきりで二度と会えないかも知れないから、元氣な内にお別れの挨拶を済ませておきたいという氣持ち)を有難く思えたの」

「さようなら」
この一秒ほどの短い言葉が、一生の別れになるときがある。

そのお客様は母親の大きな大きな愛情を感じたのでした。
89歳のお母様のさらなる長寿をお祈りしたくなりました。

ブログトップに戻る

プロフィール

有賀泰治

車検の『アップル車検』
自動車販売の『カーベル』
キズ、へこみの『キズナース』
中古タイヤ、カー用品の『ガレージ・オプション』
事故・故障対応の『レッカーサービス』
自動車をはじめとしたすべての損害保険・生命保険の『保険部門』

上質なカーメンテナンスを自社で全て提供する自動車会社
㈱アルガオートサービスは自動車関連の事業を営んでいます。

カテゴリー

カレンダー

2010 6月
   1  2  3  4  5 
 6  7  8  9  10  11  12 
 13  14  15  16  17  18  19 
 20  21  22  23  24  25  26 
 27  28  29  30    
5月  |  Today  |  7月

最近のコメント

最近のトラックバック