2010/02/26
15歳までの親のいない子や親が子を育てられない常態の子供達の施設を慰問。
ネパールでは、国で孤児などの面倒はみることがなく、市民のボランティアやロータリークラブの援助ですべて運営されているとの事。
今回訪問した孤児院やパタンの孤児院をサキヤさんなど20名ほどの支援者で運営しているそうです。
サキヤさんと孤児の出迎え
一般個人の収入がカトマンズで月収5,000円から10,000円
一人の子供が10,000円あれば十分に1年間の教育が受けられるそうです。
我々はわずかではありましたが、ノート、鉛筆、ボールペンなどを持ち込み、孤児一人一人に手渡しました。
その場でカンパもつのり施設に寄付をしてきました。
女の子の代表が流暢な英語で謝辞をのべ、将来は勉強して医者になりたいとのこと、是非頑張ってください。
教室の白板に、算数の計算式
関数でかなり高等な数学を勉強しているようです。
ネパールでは、国で孤児などの面倒はみることがなく、市民のボランティアやロータリークラブの援助ですべて運営されているとの事。
今回訪問した孤児院やパタンの孤児院をサキヤさんなど20名ほどの支援者で運営しているそうです。
サキヤさんと孤児の出迎え
一般個人の収入がカトマンズで月収5,000円から10,000円
一人の子供が10,000円あれば十分に1年間の教育が受けられるそうです。
我々はわずかではありましたが、ノート、鉛筆、ボールペンなどを持ち込み、孤児一人一人に手渡しました。
その場でカンパもつのり施設に寄付をしてきました。
女の子の代表が流暢な英語で謝辞をのべ、将来は勉強して医者になりたいとのこと、是非頑張ってください。
教室の白板に、算数の計算式
関数でかなり高等な数学を勉強しているようです。
2010/02/26
エベレストを観るため飛行機で遊覧飛行。
カトマンズ空港より東に向け飛行機でエベレストを目指す。
1時間ほどの行程で遊覧飛行。
今回も、飛行機は1時間以上の遅れで飛び立ちました。
ネパールの国内線の発着は全くあてにならない。そのへんは松本空港と同じか!?
世界最高峰のエベレストは
ネパール東部と中国チベットとの国境地帯の山群沿いにある。
飛行機が山脈に近づくき高度がさらに上がるとチベットの方向遥か彼方まで山々が続いているのが見える。
8,000メートルを越える山の高さは飛行機では意外と実感が沸かないが、遥か彼方の山の奥まで険しい山が続いているのは圧巻です。
30分くらい飛行すると、山頂より尾根沿いに白い雲が横に帯のように流れている、他の山頂とは別格だというのが良くわかる。
エベレストが青空に輝き抜きん出ている。
飛行機の中からも感動に浸ることができる。
凄い !
周辺は、氷河や、氷河湖、雪の付かない岩壁が複雑な地形を作っている。いたるところからこの山の壮大さが伝わってくる。
登山家の憧れになるのも良くわかる。
途中、搭乗客全員が飛行機のコックピットからヒマラヤを観させてもらえる。180度の視界に感激。
↓
飛行機はヒマラヤの南付近で旋回して帰路につく、小型機のために往路で山が楽しめる。
カトマンズ空港より東に向け飛行機でエベレストを目指す。
1時間ほどの行程で遊覧飛行。
今回も、飛行機は1時間以上の遅れで飛び立ちました。
ネパールの国内線の発着は全くあてにならない。そのへんは松本空港と同じか!?
世界最高峰のエベレストは
ネパール東部と中国チベットとの国境地帯の山群沿いにある。
飛行機が山脈に近づくき高度がさらに上がるとチベットの方向遥か彼方まで山々が続いているのが見える。
8,000メートルを越える山の高さは飛行機では意外と実感が沸かないが、遥か彼方の山の奥まで険しい山が続いているのは圧巻です。
30分くらい飛行すると、山頂より尾根沿いに白い雲が横に帯のように流れている、他の山頂とは別格だというのが良くわかる。
エベレストが青空に輝き抜きん出ている。
飛行機の中からも感動に浸ることができる。
凄い !
周辺は、氷河や、氷河湖、雪の付かない岩壁が複雑な地形を作っている。いたるところからこの山の壮大さが伝わってくる。
登山家の憧れになるのも良くわかる。
途中、搭乗客全員が飛行機のコックピットからヒマラヤを観させてもらえる。180度の視界に感激。
↓
飛行機はヒマラヤの南付近で旋回して帰路につく、小型機のために往路で山が楽しめる。
2010/02/26
成道の地 - ブッダ・ガヤー
初めて説法した - サールナート
入滅の地 - クシナガール
と並んでブッダの生涯にちなむ4大聖地、ルンビニへ巡礼をしてきました。
紀元前249年には、インド・マウリア帝国のアショーカ王がこの地を参拝し記念に石柱を建立した。その後仏教徒の巡礼地になっている。特に、唐代の玄奘三蔵も636年に詣でている。玄奘の『大唐西域記』には、アジョーカ王の石柱は落雷のために中ほどから折れていたという。
(孫悟空や猪八戒、沙悟浄があばれて折ってしまったのか!!!)
14世紀には巡礼の記録は途絶えてしまい、インド、ネパールを支配したイスラム勢力によってルンビニは破壊され廃墟と化した。そのアショーカ王の石柱も埋もれて人々から忘れ去られてしまった。
1896年『大唐西域記』の記述をもとにインドの考古学者フューラーが石柱を再発見した。その後多くの考古学上の発掘が続き、また、ルンビニが巡礼の地となった。
その後、ルンビニは開発公団が発足し日本の建築家、丹下健三のデザインしたマスタープランに従ってルンビニ園として各国寺院の建設が進められている。
カトマンズからバイラワ空港まで空路40分、飛行機の離陸予定時間は1時間以上の遅れ、上空が霧のためとか!
空路右側にヒマラヤの山々が見えます。
羽の向こうは8,000メートル級の『マナスルかアンナプルナ』だと思います。
その向こうは中華人民共和国チベットです。
山の高さもさることながら、中国チベット奥深くまで続く山の険しさは圧巻です。
↓
ルンビニ到着 ↓
空港からルンビニへは自動車で30分、道路沿いの景色はカトマンズとは一変して周辺は田園らしきのどかな風景がつづきます。時々道路沿いのバス停など周辺に店が出ています。雑貨、井戸の手漕ぎポンプ、両替所、ポリスBOXなどがならんでいます。
ルンビニ園
まず始めに、日本山妙法寺に参拝、
ルンビニのマスタープランによって各国のお寺が建設されています。東南アジアの各国の他にドイツ寺があるのは印象的でした。
橘 会長(宝輪寺方丈)、小笠原隆元広澤寺方丈による般若心経を全員で唱え、また小笠原方丈のサンスクリット語でのお経をあげました。
ルンビニ博物館と図書館
政府の休日で閉館していました。・・・残念
聖域地区
菩提樹には色とりどりの経文を刷り込んだ『タルチョ』がにぎやかに飾られている。
↓
アショーカ王の石柱
石柱には古代ブラミー文字による碑文が刻まれている。
小笠原方丈によれば、その文字の解読は何年もかかり、歴史的な発見だということが判明したとの事。
文字の内容は
『アショーカ王は即位20年を経た年に、ブッダ生誕のこの地に巡礼した。住民の租税を8分の1に減税する』
2,250年前の石柱には古代文字が刻まれています。
地中に埋まっていたところまでは石の色が変わっています。
地上に出ていた箇所には、イスラム教徒の文字が刻まれ、長い歴史の変遷が感じます。
鉄製のリングは割れた石柱が分解しないようにしてあります。
↓
後でガイドブックを読みましたが、全く同じ事を説明していました。
この石柱にも我々はお祈りしましたが、他の巡礼者も祈りをささげていました。
↓
ネパールの巡礼者 ↓
マーヤー聖堂
聖堂内部は紀元前3世紀から7世紀にかけての礎石が保存され、アショーカ王が置いたと伝えられるブッダ生誕の場所を示すマークストーンがある。
↓
遺跡から発見されたブッダ誕生を描いた石像が置かれているが、その石像はイスラム教徒によって表面が削りとられてしまっている。
↓
ブッダの足跡と伝えられるレンガ
↓
聖堂内に入った頃、カンボジアからの団体巡礼者と遭遇、何十人も入って来て、お経を唱え、香水をまき、右回りに3回聖堂内を歩きながら祈りをささげていました。
↓
プスカリニ池
ブッダの生母、マーヤー夫人が出産まえに沐浴し、太子の産湯にも使ったと伝えられる池。
観光地にもなっているので、池の水はにごって汚い、亀も泳いでいます。
↓
平和の火
ルンビニ園、聖域地域の北側にブッダの教えを象徴する『平和の火』
ここから北にかけて訳1,5km運河が建設中でした。建設重機は無く、人力によって建設されています。
その運河の両側に14各国のお寺が建造されています。
↓
初めて説法した - サールナート
入滅の地 - クシナガール
と並んでブッダの生涯にちなむ4大聖地、ルンビニへ巡礼をしてきました。
紀元前249年には、インド・マウリア帝国のアショーカ王がこの地を参拝し記念に石柱を建立した。その後仏教徒の巡礼地になっている。特に、唐代の玄奘三蔵も636年に詣でている。玄奘の『大唐西域記』には、アジョーカ王の石柱は落雷のために中ほどから折れていたという。
(孫悟空や猪八戒、沙悟浄があばれて折ってしまったのか!!!)
14世紀には巡礼の記録は途絶えてしまい、インド、ネパールを支配したイスラム勢力によってルンビニは破壊され廃墟と化した。そのアショーカ王の石柱も埋もれて人々から忘れ去られてしまった。
1896年『大唐西域記』の記述をもとにインドの考古学者フューラーが石柱を再発見した。その後多くの考古学上の発掘が続き、また、ルンビニが巡礼の地となった。
その後、ルンビニは開発公団が発足し日本の建築家、丹下健三のデザインしたマスタープランに従ってルンビニ園として各国寺院の建設が進められている。
カトマンズからバイラワ空港まで空路40分、飛行機の離陸予定時間は1時間以上の遅れ、上空が霧のためとか!
空路右側にヒマラヤの山々が見えます。
羽の向こうは8,000メートル級の『マナスルかアンナプルナ』だと思います。
その向こうは中華人民共和国チベットです。
山の高さもさることながら、中国チベット奥深くまで続く山の険しさは圧巻です。
↓
ルンビニ到着 ↓
空港からルンビニへは自動車で30分、道路沿いの景色はカトマンズとは一変して周辺は田園らしきのどかな風景がつづきます。時々道路沿いのバス停など周辺に店が出ています。雑貨、井戸の手漕ぎポンプ、両替所、ポリスBOXなどがならんでいます。
ルンビニ園
まず始めに、日本山妙法寺に参拝、
ルンビニのマスタープランによって各国のお寺が建設されています。東南アジアの各国の他にドイツ寺があるのは印象的でした。
橘 会長(宝輪寺方丈)、小笠原隆元広澤寺方丈による般若心経を全員で唱え、また小笠原方丈のサンスクリット語でのお経をあげました。
ルンビニ博物館と図書館
政府の休日で閉館していました。・・・残念
聖域地区
菩提樹には色とりどりの経文を刷り込んだ『タルチョ』がにぎやかに飾られている。
↓
アショーカ王の石柱
石柱には古代ブラミー文字による碑文が刻まれている。
小笠原方丈によれば、その文字の解読は何年もかかり、歴史的な発見だということが判明したとの事。
文字の内容は
『アショーカ王は即位20年を経た年に、ブッダ生誕のこの地に巡礼した。住民の租税を8分の1に減税する』
2,250年前の石柱には古代文字が刻まれています。
地中に埋まっていたところまでは石の色が変わっています。
地上に出ていた箇所には、イスラム教徒の文字が刻まれ、長い歴史の変遷が感じます。
鉄製のリングは割れた石柱が分解しないようにしてあります。
↓
後でガイドブックを読みましたが、全く同じ事を説明していました。
この石柱にも我々はお祈りしましたが、他の巡礼者も祈りをささげていました。
↓
ネパールの巡礼者 ↓
マーヤー聖堂
聖堂内部は紀元前3世紀から7世紀にかけての礎石が保存され、アショーカ王が置いたと伝えられるブッダ生誕の場所を示すマークストーンがある。
↓
遺跡から発見されたブッダ誕生を描いた石像が置かれているが、その石像はイスラム教徒によって表面が削りとられてしまっている。
↓
ブッダの足跡と伝えられるレンガ
↓
聖堂内に入った頃、カンボジアからの団体巡礼者と遭遇、何十人も入って来て、お経を唱え、香水をまき、右回りに3回聖堂内を歩きながら祈りをささげていました。
↓
プスカリニ池
ブッダの生母、マーヤー夫人が出産まえに沐浴し、太子の産湯にも使ったと伝えられる池。
観光地にもなっているので、池の水はにごって汚い、亀も泳いでいます。
↓
平和の火
ルンビニ園、聖域地域の北側にブッダの教えを象徴する『平和の火』
ここから北にかけて訳1,5km運河が建設中でした。建設重機は無く、人力によって建設されています。
その運河の両側に14各国のお寺が建造されています。
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