有賀泰治の公式ブログです。日々の行動や情報、会社での出来事などを更新しております。

2010/02/28
パタンの中心街より徒歩で20分ほど行くと、周辺の古い町並みとはうって変わった住宅街が出現。
道路の巾は狭いが両脇の家々は高い塀に囲まれ、パタンの古い家とは趣の違う立派な建物だ、レンガ造りではあるが白い漆喰壁のお洒落な家ばかりだ。
その塀の上部は鋭く尖ったカラスの破片が埋め込まれている。塀をよじ登って侵入は難しい。




数件を1ブロックで区切って入口には鉄製の門があり、夜間には民間の守衛が出入りをチェックしている。
この国の上流階級が住む地域なんだということが分かる。
厳重な門をくぐると中庭があり、サキヤさんの家族が奥さんを筆頭にお嬢さんや、お嫁さんの女性ばかりでお出迎え、皆さんネパール美人ばかりでした。




息子さんは日本とアメリカに二人留学中だそうです。

そのうちパタン・ウエストRCのメンバー数人も駆けつけさらに懇親を深める事ができました。

Robert J.Timmonsさんは、元アメリカ厚生省の役人でドクター。医療などの支援でネパールに来ているそうです。

↓背中がDr.Timmons


多くのパタン・ウエストRCのメンバーと交流することができました。

Sanu K.tamrakarさん
民族舞踊団のオーナーで日本へ何度も来日しているそうです。

J.M.Shresthaさん 
トレキングや探検のガイド会社を経営、もう一度来たらもっと違ったネパールを紹介するよとの事!

Om Kaji Shakyaさん 
パタン市でホテル、レストランなどを経営、パタン市内に入ってからお茶をご馳走になりました。

Rari Raj Thapa
元警察省の役人で、若い頃はボクシングのオリンピック選手、モスクワ大会にネパール代表で参加したとか、元警察関係者とは思えない温和な顔でした。



町を歩く中で遺跡の様な古い井戸がありましたので載せておきます。
人が小さく見えます。



町の子供達は元気でした。


2010/02/27
紀元前3世紀にアショーカ王が建てたとされるストゥーパが残っている仏教徒の町。

パタン市はカトマンズ市とパグマティ川を挟んだ南の町。
パタンはサンスクリット語で「Laitpur」とも呼ばれ『美の都』という意味だ、ここに来ると町全体が美術品のようだ。

『驚くばかりのレトロの町だ』。

赤羽先生の強い要望で予定を変更してまでこの町を訪れました。
ネパールに来て一番感動的な眺めです。人類の歴史を肌で感じられます。

町に入る外国人は入場料が必要です。
パタン中心の観光地でもありますが、人の多いこと、人の活気には驚きます。
私の後方の町並みを見てください。





この写真を撮影しているところも古い寺院の屋根の上です。
町の眺めが一番良いところだそうです。

東側(写真右側)は旧王宮、西側は寺院(写真左側)
このダルバール広場の建物は主に16~18世紀に建てられたものだそうです。


暮らす人のほとんどがネワール族で、彫刻、絵画などの芸術に秀でていて、町を歩けば色々な工房が目に入る。
電灯のない暗がりでよくも細かい工芸品が出来るものだと、小笠原方丈がしきりに感心していました。















2010/02/27
ボダナートへ巡礼

ネパール最大のストゥーパ(仏塔)のボダナート、カトマンズ市内の北東6Kmに位置している。
チベット仏教徒の主要な巡礼地で、中国のチベット武力併合後は世界有数のチベット文化の中心地。
チベットからの逃れてきた多くの亡命者が1960年頃から住み着いていて、たくさんの仏教徒が巡礼をしに来るそうです。

道路からゲートに入るとすぐ、両脇建物の間にストゥーパが目に入る。



このストゥーパはそれ自体が曼荼羅を構成していて、台座は“大地”、白い半円球のドームは“水”その上の塔に描かれている四方を見据えている目と尖塔は“火”、その上の円形の傘は“風”、先端の小尖塔は“空”、宇宙を構成する5大エネルギーを象徴している。
また、 “ブッダの悟り”と仏教の本質を 台座=瞑想 ドーム=無の境地 塔=涅槃 それに至るまでを表現しているともいわれている。



最も下の土台の壁には《マニ車》が5個位づつ、一周にわたって147箇所備えつけられている。
《マニ車》は『オムマニペ メフム』という真言が刻まれている。
仏教徒はこの土台にある《マニ車》を回しながら、トゥーパを右周りに回り続けていました。
ネパール、インド、ブータンのチベット系住民が巡礼におと連れ一年中賑わいが絶えないそうです。



トゥーパの北側には3mもある《マニ車》があり、これを回すと鐘が鳴る仕組みになっていました。私と関さんもチャレンジしてみました。

このボダナート周辺には20ほどの“ゴンパ”(僧院)があり、多くの尼僧が学ぶ学問と修行の場であり、建築、彫刻、絵画、印刷術のチベット芸術の殿堂になっている。












2010/02/26
15歳までの親のいない子や親が子を育てられない常態の子供達の施設を慰問。
ネパールでは、国で孤児などの面倒はみることがなく、市民のボランティアやロータリークラブの援助ですべて運営されているとの事。
今回訪問した孤児院やパタンの孤児院をサキヤさんなど20名ほどの支援者で運営しているそうです。

サキヤさんと孤児の出迎え






一般個人の収入がカトマンズで月収5,000円から10,000円
一人の子供が10,000円あれば十分に1年間の教育が受けられるそうです。

我々はわずかではありましたが、ノート、鉛筆、ボールペンなどを持ち込み、孤児一人一人に手渡しました。
その場でカンパもつのり施設に寄付をしてきました。





女の子の代表が流暢な英語で謝辞をのべ、将来は勉強して医者になりたいとのこと、是非頑張ってください。





教室の白板に、算数の計算式
関数でかなり高等な数学を勉強しているようです。

2010/02/26
エベレストを観るため飛行機で遊覧飛行。
カトマンズ空港より東に向け飛行機でエベレストを目指す。
1時間ほどの行程で遊覧飛行。

今回も、飛行機は1時間以上の遅れで飛び立ちました。
ネパールの国内線の発着は全くあてにならない。そのへんは松本空港と同じか!?

世界最高峰のエベレストは
ネパール東部と中国チベットとの国境地帯の山群沿いにある。

飛行機が山脈に近づくき高度がさらに上がるとチベットの方向遥か彼方まで山々が続いているのが見える。
8,000メートルを越える山の高さは飛行機では意外と実感が沸かないが、遥か彼方の山の奥まで険しい山が続いているのは圧巻です。


 30分くらい飛行すると、山頂より尾根沿いに白い雲が横に帯のように流れている、他の山頂とは別格だというのが良くわかる。

エベレストが青空に輝き抜きん出ている。

飛行機の中からも感動に浸ることができる。
凄い !



周辺は、氷河や、氷河湖、雪の付かない岩壁が複雑な地形を作っている。いたるところからこの山の壮大さが伝わってくる。
登山家の憧れになるのも良くわかる。

途中、搭乗客全員が飛行機のコックピットからヒマラヤを観させてもらえる。180度の視界に感激。



飛行機はヒマラヤの南付近で旋回して帰路につく、小型機のために往路で山が楽しめる。


2010/02/26
成道の地 - ブッダ・ガヤー
初めて説法した - サールナート
入滅の地 - クシナガール
と並んでブッダの生涯にちなむ4大聖地、ルンビニへ巡礼をしてきました。

紀元前249年には、インド・マウリア帝国のアショーカ王がこの地を参拝し記念に石柱を建立した。その後仏教徒の巡礼地になっている。特に、唐代の玄奘三蔵も636年に詣でている。玄奘の『大唐西域記』には、アジョーカ王の石柱は落雷のために中ほどから折れていたという。
(孫悟空や猪八戒、沙悟浄があばれて折ってしまったのか!!!)
14世紀には巡礼の記録は途絶えてしまい、インド、ネパールを支配したイスラム勢力によってルンビニは破壊され廃墟と化した。そのアショーカ王の石柱も埋もれて人々から忘れ去られてしまった。
1896年『大唐西域記』の記述をもとにインドの考古学者フューラーが石柱を再発見した。その後多くの考古学上の発掘が続き、また、ルンビニが巡礼の地となった。
その後、ルンビニは開発公団が発足し日本の建築家、丹下健三のデザインしたマスタープランに従ってルンビニ園として各国寺院の建設が進められている。

カトマンズからバイラワ空港まで空路40分、飛行機の離陸予定時間は1時間以上の遅れ、上空が霧のためとか!




空路右側にヒマラヤの山々が見えます。

羽の向こうは8,000メートル級の『マナスルかアンナプルナ』だと思います。
その向こうは中華人民共和国チベットです。
山の高さもさることながら、中国チベット奥深くまで続く山の険しさは圧巻です。



ルンビニ到着 ↓


空港からルンビニへは自動車で30分、道路沿いの景色はカトマンズとは一変して周辺は田園らしきのどかな風景がつづきます。時々道路沿いのバス停など周辺に店が出ています。雑貨、井戸の手漕ぎポンプ、両替所、ポリスBOXなどがならんでいます。






ルンビニ園

まず始めに、日本山妙法寺に参拝、
ルンビニのマスタープランによって各国のお寺が建設されています。東南アジアの各国の他にドイツ寺があるのは印象的でした。
橘 会長(宝輪寺方丈)、小笠原隆元広澤寺方丈による般若心経を全員で唱え、また小笠原方丈のサンスクリット語でのお経をあげました。







ルンビニ博物館と図書館
政府の休日で閉館していました。・・・残念

聖域地区
 菩提樹には色とりどりの経文を刷り込んだ『タルチョ』がにぎやかに飾られている。



アショーカ王の石柱
石柱には古代ブラミー文字による碑文が刻まれている。
小笠原方丈によれば、その文字の解読は何年もかかり、歴史的な発見だということが判明したとの事。
文字の内容は
『アショーカ王は即位20年を経た年に、ブッダ生誕のこの地に巡礼した。住民の租税を8分の1に減税する』

2,250年前の石柱には古代文字が刻まれています。
地中に埋まっていたところまでは石の色が変わっています。
地上に出ていた箇所には、イスラム教徒の文字が刻まれ、長い歴史の変遷が感じます。
鉄製のリングは割れた石柱が分解しないようにしてあります。



後でガイドブックを読みましたが、全く同じ事を説明していました。 


 
この石柱にも我々はお祈りしましたが、他の巡礼者も祈りをささげていました。


ネパールの巡礼者 ↓


マーヤー聖堂
聖堂内部は紀元前3世紀から7世紀にかけての礎石が保存され、アショーカ王が置いたと伝えられるブッダ生誕の場所を示すマークストーンがある。



遺跡から発見されたブッダ誕生を描いた石像が置かれているが、その石像はイスラム教徒によって表面が削りとられてしまっている。



ブッダの足跡と伝えられるレンガ



聖堂内に入った頃、カンボジアからの団体巡礼者と遭遇、何十人も入って来て、お経を唱え、香水をまき、右回りに3回聖堂内を歩きながら祈りをささげていました。



プスカリニ池
 ブッダの生母、マーヤー夫人が出産まえに沐浴し、太子の産湯にも使ったと伝えられる池。
観光地にもなっているので、池の水はにごって汚い、亀も泳いでいます。



平和の火
ルンビニ園、聖域地域の北側にブッダの教えを象徴する『平和の火』
ここから北にかけて訳1,5km運河が建設中でした。建設重機は無く、人力によって建設されています。
その運河の両側に14各国のお寺が建造されています。



2010/02/25
パタン・ウエスト・ロータリークラブ例会参加



左端が橘会長 ↑    右端がサキヤさん ↑



松本空港RCクラブのメンバー  ↑

カトマンズ市内の帰宅交通ラッシュによって、宿泊先のホテルより自動車で通常15分ほどの道路を2時間以上かけて例会場に到着しました。

パタン・ウエスト・R.Cは
1995年にネパールR.I.3292地区、クラブNo.31143として認証され、現在の会員数35名ほどのクラブです。
現会長は Kirti Nath Maskey さんです。

また、ネパール国内には50以上のロータリークラブが存在していて、ボランティア活動も活発に行われているようです。
後日、パテン・ウエストRCが全面支援をしている孤児院へも訪問する予定になっています。

パタン・ウエストRCのメンバーでパスト会長のサキヤさん(Sidhi Bdr.Sakya)と当クラブの南 栄作さんが国際大会で知り合い、サキヤさんが松本空港RCの例会に出席して以降、10年来の交流が生まれました。
その後、松本市とカトマンズ市の姉妹都市としての交流も進み今回の訪問という事になりました。
例会では会員婦人なども出席して大歓迎を受けました。

メンバーとの交流は、英語が主ですが、日本語も話せるパタン・ウエストのメンバーも多く和やかな交流となりました。

ネパールは38の民族、言語は50以上にのぼるそうです。学校教育は英語が主体となっているようです。

2006年5月までヒンドゥー教を国教としていて、カーストによる差別や昔ながらのバウン(ブラーマン)支配の人々が政治、経済に影響を及ぼしていた国ですので、パタン・ウエストのロータリアンはネパールの支配階級であることがわかります。
貧富の格差が教育や地方と都市部の格差として反映されている国です。



↑ 関さん(海外でスーツ姿はアメリカ・ソルトレイク以来です)と
永原さん
写真、後方はパタンウエストRCのメンバー、ウエルカムドリンクで大歓迎です。

2010/02/24
松本空港ロータリークラブの国際交流の一環として、カトマンズ市武道館へ柔道着を贈呈。

経緯

立派な武道館はあるが子供達は私服などで柔道を習っているとの情報があり、松本空港ロータリークラブが各方面にいらなくなった柔道着の寄付を呼びかけしたところ40着以上の柔道着が集まりました。参加者1名当り2着を機内へ持ち込みしながらカトマンズまで運び、今回の贈呈式になりました。
参加者は松本空港ロータリーの他に、松本東クラブの磯部先生、松本南クラブの小笠原隆元さん(有賀家・菩提寺広澤寺の方丈様)、画家の中村石淨先生など十数名になりました。

観覧席より武道館内部、人物は小笠原方丈様 ↓



武道館は
カトマンズ市内、古い町並みの中心部にあり、市内の景観が一変するくらい立派な建物です。二階建てで観覧席があり、面積は100畳の試合場が4面ほど取れ、さらに二部屋の教室がありました。柔道、剣道、空手等の武道だけでなく、日本の文化や伝統を学ぶカルチャーセンターとしても利用されているようです。
 入口には当時の記念写真や、中村石淨先生の記念画、日本文化のシンボル雛人形や五月人形などが展示されていました。↓

 
武道館、入口にて私と松田さん ↓



贈呈式は
子供達の柔道、剣道、合気道の形や練習風景が記念開催され地元メディアも取材に来ました。
柔道の型、練習風景は日本の柔道と変わりなく気合の入ったものでした。私も柔道三段ですので、その気合はよく伝わってきました。
剣道や合気道も披露されましたが皆、厳粛に行われ日本武道の心も伝承されていることが感じ取れました。








カトマンズ市武道館建設の経緯
ネパール・カトマンズ市と松本市は平成元年11月に姉妹都市提携を締結し、平成11年、我クラブの名誉会員である、有賀 正 元松本市長が市長時代に姉妹都市提携10周年を記念して武道館建設を計画しました。
そして、橋本龍太郎元内閣総理大臣に有賀松本市長・提携委員会会長として協力要請 した結果、外務省の「草の根資金」が決定され、カトマンズ市武道館建設事業が決まりました。平成14年1月に無事竣工しました。
 総事業費約2,700万円、約2年の歳月をかけたカトマンズ市武道館。その後、カトマンズ市武道館の竣工1周年を記念して平成15年1月に第3回国際親善ネパール学生柔道大会などが開催さされたりしていましたが、この武道館から現在はアジア大会の上位入賞者やネパールを代表するオリンピック選手も輩出しています。



2010/02/23
22日、松本のブライトガーデンへ12時20分に到着

12時30分から毎週月曜日の例会が始まります。
帰国した着の身着のままでロータリークラブの例会に出席しました。

橘会長の一週間ぶりのご挨拶に続き、ネパール参加組が全員ひと言づつの帰国報告をしました。




実は二日ほど前より風邪をひいたようです。帰宅して、少し養生して身体を休めたいとおもいます。


ネパール参加の皆様、大変お疲れさまでした。



2010/02/22
タイ・バンコクを起点にネパールへ行って来ました。


携帯電話メールでブログを更新しています。
ネパールでは携帯電話メールがつながらなかったので、帰国報告メールになります。

後日、時間を作りブログアップしようと思います。


ネパールでは下記のような行動で色々な体験をして来ました。

武道館の子供たちに柔道着の贈呈


ネパール・パタンウェストロータリークラブ例会出席


ルンビニ お釈迦様生誕の地 巡礼


ヒマラヤ マウンテンフフイト


カトマンズ孤児院慰問


パタンウェストロータリークラブ・パスト会長のサキヤさん私邸訪問


《スワヤンブナート》巡礼
(ストゥーパ) 仏塔のあるヒマラヤ最古の寺院、寺院の開基が伝説である。

パタン《ダルバール広場》
紀元前3世紀にアショーカ王が建てたとされるストゥーパが残っている


《パシュパティナート》ネパール最大のヒンドゥー教寺院、インド亜大陸にある4大シヴァ寺院

2010/02/18
ホテルのお勧めレストランはバンコク中心街よりだいぶ離れた下町にありました。


道路の両側が屋台街になっています。かなりの人がいます。

8時半くらいですが屋台は店じまいをし始めています。

我々の行くレストランはリザーブしてないようですが店はオープンしているのでしょうか ! ・・・・・



ガイドがいないので、パンフレットを片手に町の人にたずねますが、なかなかたどり着きません。




ふー!

やっとの思いでたどり着きました。


町の雰囲気ては一変して、綺麗なレストランが出現。

やれやれです、みんな汗だく!





タイビールで乾杯 !

うまい !

セット料金2000円ほどののタイ料理をオーダー

シーフードサラダ
エビフライ
タイカレー
春巻
ビーフン
魚のフライ
お米のでお菓子
・・・
あと数品でまさたが

とてもおいしかったです。

2010/02/18
お布施として仏像に金箔を貼りつけます。

2010/02/18
寝釈迦仏の前で記念撮影

志水さん、関さん、丸山さん

以前来たときは昼間でしたので観光客でいっぱいでしたが夜の見学では私達以外の人はいませんでした。

2010/02/18
ガイドはいません。

有田幹事の手作りツアーですので、言われるままについていきます。
何処に連れていかれるかわかりません。


探検気分ですね・・・

空港ホテルから、タクシーで一時間、高速道路を利用してバンコク市内へ、渋滞もあり東京の首都高と変わりません。







ここは以前も来たことがあります。

食事の前に寺院見物とのこと

王宮跡の横にある寺院《ワットホー》の寝釈迦仏

お釈迦様が横になっています。
黄金に輝き、何十メートルもあり、圧巻です !



2010/02/18
タクシーをチャターしてバンコク市内へ食事へ


3、4年前に来たことがありますが、バンコク市内の中心街は日本と比べてもほとんど見劣りしないくらい発展していました。

中心街を外れると東南アジアの町並みとなりますが、今回は志水さんなどのリードでついて行くだけですので、お任せ! です。


2010/02/18
空港横のホテルでチェックインを待つ

2010/02/17
タイ航空 で バンコクに到着

今日はタイで一泊



飛行機は 《Boeing777・200》

写真は飛行機のジェットエンジン部ですが、左下に『ロールスロイス』のマークがあります。


ロールスロイスはイギリスの自動車メーカーですが、今は世界ナンバーワンのジェットエンジンの会社です。

自動車関係の仕事をしていますとこんな事にも気づきます。


2010/02/17
セントレアにて腹ごしらえ、関さんと丸山祐一さん。


これから、タイ・バンコクへそしてネパールへ向かいます。




関さん飛行機に乗ったら、すぐに機内食が出ますよ !

太りますょ !

2010/02/17
早朝5時、ネパールへ向けてブライトガーデンを出発

バスでセントレアへ、車中にて松本空港ロータリークラブ会長・橘 昭雄会長(団長)ご挨拶


目的は

ネパール・カトマンズ市武道館へ柔道着寄贈。
パタンウェスト・ロータリークラブとの交流。
などを目的に行ってまいります。


総勢17名の視察団となりました。

2010/02/16
ハウスアレンジの降籏さんとビクトリアンクラフトの斧さんから、イベントセールのDMが届きました。


ビクトリアンクラフトさんの店舗へハウスアレンジさんが出店

アンティークなイングリッシュガーデンをコラボした庭造りの提案です。

オシャレですね


ビクトリアンクラフトさんもDMを発送したお客様だけの限定セールを企画していました。
いつもお店をのぞいている私でも安いなと感じる値ごろ感があります。

《《目当ての家具があれば今回は買い時ですね!!!》》》


写真はハウスアレンジさんのコーナー。
カウンターに穴沢雅美さんです。

お客様かと思ったら、お隣、創造社の青柳さんと打合せしていました。



右はビクトリアンクラフトの根橋さんです。
今回の企画を説明していただきました。



『ところで!成果は!』

の質問に!

『絶好調 !』


2010/02/16
今月の参加者

右より中平さん、中沢さん、阿部さん、私、手前は横水さんです。


久々に 東寿司さんへお邪魔しまして美味しいお寿司を頂き盛り上がりました。


お酒も頂き調子もいい感じになってきたところで記念撮影です。

2010/02/15
田中二郎京都大学名誉教授の講演






松本空港ロータリークラブ例会にて

2010/02/15
京都大学田中二郎名誉教授によるブッシュマンの生活と社会

昔と今

について講演を聞きました。

ブッシュマンは、南部アフリカのボツアナからナミビアにかけて広がるカラハリ砂漠で移動生活を営んでいる民族であった。


田中先生は1966年間以来調査していたが、ブッシュマン居住地に急激な変化の波が押しよせてきたのは1979年のころからであった。
ボツアナ政府による近代化の施策が最奥地であるブッシュマンの移動地域カデにまでおよびはじめた。

何千年、何万年にもわたって営まれてきた荒野での人々の生活は自然資源の保証の上に成立していたが、政府の定住政策で大きく変わってしまった。



驚いたのは!

田中先生が奥さんや生まれたばかりのお子さんと共にブッシュマンと一年半以上生活したことです。

年間のうちに300日も雨がなく、時に水は狩りをした動物の胃袋にある、食べたものの汁を飲んだり、その汁で手を洗ったりの生活をする、過酷な状況の中で現代人の夫婦がブッシュマンと生活した事はすごいことだと思いました。


もう一つは、カラハリ砂漠はブッシュマンのように少数で移動生活をしている人間にとっては、自然から採集する食べ物が十分にある事をしりました。
2010/02/13
窪田浩明さん(左)

皐月会例会で語る!!

《松本山雅F.C.は信州・松本からのJリーグ入りを目指しています!》





右は皐月会メンバーの山村和永さん

2010/02/13
松本山雅FCのサポートショップ、パートナースポンサー募集


皐月会の例会にNPO法人アルウィンスポーツプロジェクト理事・広報担当の窪田浩明さんが来られて、地元サッカーチームの《松本山雅FC》への協力依頼がありました。


皐月会のメンバー犬飼さん、山村さん、中林さんが熱狂的なサポートということもあり、窪田さんを招き《松本山雅FC》についての熱い思いを語っていただきました。

松本山雅が2009シーズン、全国社会人選手権優勝、全国地域サッカーリーグ優勝、更に、天皇杯での浦和レッズを破った事は松本市民には記憶に残っています。
そして、2010年JFL昇格を手にしました。


これからは、J2目指して更に盛り上がります。


2010/02/10
株式会社エーエーエスの経営計画発表会

上原正和社長の方針発表


エーエーエスは創業より23年を経過しました、社会の経済が落ち込む中ですが、この様な時もチャンスはあります、それを逃すことなく掴みとり、前向きに取り組むことが大切です。


《経営計画》は事業にとって、最も大切なものです。


計画なくして、未来無し !


方向を決定する大切なバイブルです。日々確認することにより、社のいましめとなり、
また、経営計画書を策定する過程で社員の成長もはかれます。

社員の成長なくして企業の成長なし !!!



2010/02/10
華巳会の新会長に山元秀泰くんが新しく選ばれました。


人格者の彼に満場一致で議決されました。


山元くんは、元長野県議会議員で、石芝にある《おぶ〜》のオーナー
さらに、松本広域浄化槽組合の理事長も勤めています。




少し太りぎみですので健康には十分気をつけて下さいね !!!

2010/02/10
華巳会も17年目に入りました。


今年で皆、57才、還暦にもうわずかです。
青年会議所を卒業してから毎月例会(1月は休会)をしています。
ゴルフ好きはコンペもします、また、旅行もするので、更に交流が深まります。


体や健康の話題が一番多くなりました。
30代前半からの付き合いですので、最近の話題は思わず苦笑いしてしまいます。

「口角 泡をとばして」
町づくりを論じた頃が懐かしいような、また、この仲間とこの年齢までこうして交われる幸せをチョット感じるような、複雑な気持ちになります。


でも、みんな、まだまだ社会では第一線で大活躍して頑張っています。


私も、しばらくは頑張らなくちゃ !!!


2010/02/09


長野銀行の後援会組織
ながぎん松本会・アルプス会、上高地会の合同新年会がホテルブエナビスタで開催


↑ 松本平の長野銀行各支店長のご挨拶

今年3月に松本市と合併する、波田町の支店後援会《ながぎん上高地会》が今回より加わり、過去最大の集まりになりました。

↓ 恒例のマグロの解体ショー





70キロほどのマグロが板前さんにより解体、その場で、寿司職人が寿司にして、新鮮なお寿司を頂くことが出来ました。

さすがに、これは、旨い!!!
毎年楽しみにしています。

今日の参加者は260人ほどですので、一人三巻の割り当てでした。
もう少し頂きたかったのですが、仕方がありませんね


また、長野銀行さんが地元サッカーチーム《松本山雅》の協賛会社になったとの発表があり、
そのスポンサー名が入ったユニホームの披露もありました。 



本店 田中啓介課長さん ユニホーム姿が似合います



2010/02/08
写真は秀峰教育学校の新教室


長野県内に初めての中学、高校一貫学校がこの春開校します。

生徒の個性と能力を引き出し人間性と学力を伸ばし、未来の日本や世界をリードする人材を育成する。

設立の思いをうかがいました。

現代の教育事情と諸問題
学力低下
難関大学入試
希望のない将来
いじめ・不登校
・・・・・
を解消すべく、6年間完全一貫教育で生徒一人ひとりの育成を、きめ細やかな教育体制で見守りつづけます。



松本の教育も変わってくるなと感じました。

今回の見学会は、入校希望者以外で外部の人は始めての入場との事。



2010/02/07
集客勉強会には今月より二人の新会員が入会しました。

もう一人は

鈴木雷太さん

自転車店を経営していますが、彼は経歴がすごい

シドニー・オリンピックの日本代表選手

クロスカントリーの自転車競技では日本の第一人者。


愛知県の出身ですが、自転車のクロスカントリーに、より条件のよい、長野県松本へ来て独立したとのこと


楽しみな二人が入会されました。

2010/02/07
集客勉強会の新会員

蔵岡久男さん

やきたて屋 グループの総帥

当社イベントにも出店していただきました。

パワフルで明るくて愉快な社長さんです。

2010/02/07
今月の講師は両川さん

顧客満足から

カスタマー・ハピネスへ !!

消費の成熟化は、「人」で差別化

「感じ方」 = 「幸福感」が購入の決めて、幸福感に浸れる状態を創造する。


このような事ができる企業となるために



基本の実施レベルが高く、それが徹底されている。


商品・サービスの購入後のハッピーを想像させられる


イレギュラーに強い



などなど参考になりました。

2010/02/05
昭和30年に製造され、その後32年間使われた《電子顕微鏡》です。


つくば市の電子機器を製造している会社へ訪問したところ、正面玄関に展示されていました。


顕微鏡というと、繊細なイメージを感じますが、初めて見た《電子顕微鏡》はブリキの箱に煙突が付いているような簡単な出で立ちでした。

ブリキの中には当時、最先端の技術が詰まっていたのでしょう!


会社の沿革、製品案内を拝見させて頂きましたが、何億円もする製品がズラリと並んでいました。

2010/02/01
1月の月末発売されたばかりの iPhone 『音声翻訳』ソフト

早速、インストールしてみました。


iPhoneに向かって話すだけで、声を聞き分け、
英語・米語 ⇔ 日本語
を通訳、翻訳が自由自在にできます。



これなら、英語圏を自由に旅ができそうです。

これは、優れ物です。
久々の感動ものです


追伸

関西弁、信州方言は解読できません。

友人で、関西弁を使う Oさんは英語がペラペラですので必要ありませんね。

2010/02/01


経営方針共有勉強会 22年2月の1日目。
本日より四日間、5回開催します。


新人でF・H・Aに今年4月入社予定の 竹内 環(たまき)さんが参加しました。(右側)
今月からアルバイトで出社いたします。

皆さん 可愛がってください。宜しくお願いいたします。




資料です。

                     有賀 泰治

1、《人生お一人様 一回限り 時は命を削っている》

みんなこの世に生まれてきたときから
死に向かって生きている。

人生を二回やった人は一人もいない。
一回限りの人生を夢を持って、
今を大切に頑張っている人。
夢なんて、やってみないとわからないと思っている人。
夢は、眠ってみるものと思っている人。
時は、命なりと考える人。
時は、金なりと考える人。
時は、過ぎて行くものと考える人。

気づきの差で、人生の差がつくようだ。

2、《一生懸命は 知恵がでる 中途半端は グチがでる》

一つの所に命を懸けるのが、一生懸命。
命を懸ける心構えのある人が言う言葉。

頑張るは、我を張る。頑固に我を張る人だ。
目的、目標を明確に持った人が頑張れる。
真剣も、真の剣。一つ間違ったら命を落とすこと。
努力も、命を懸けて赤ちゃんを産む力のこと。
昔の人の言葉には、命が懸かっている。
だから、重い、熱い、自分に厳しい。
命を捨てるのではなく、命を懸けているのだから
腹の座った、胆識のある人物がいた。
目先のことで動かない。10年先を見ている。

そんな人は、目先のことでグチは言わない。

3、《辛いこと 横に しんぼう を加えたら 幸せになる》
貧乏と辛抱と希望の“ぼう”が
人生の支えとなる

辛口(からくち)の言葉は辛い
辛いことをガマンし、辛抱する。
耐えることで、自分の思いの深さと、
相手の思いの深さを知ることができる。
自分ひとりで生きているのではないことを思い知らされた。
自分ではどうすることもできないことで、我慢、辛抱した人は、
希望という希(まれ)な望みに光を当てることができ、
大きな夢へと膨らむ。

貧乏と辛抱と希望に感謝!

         1、2,3、心がイキイキする 言葉のセラピー 
                     黒田クロ著書より


4、「決意とは」

(第一)決意とは、できるまでやるとあらかじめ決めることである

(第二)決意は、どのような立場・環境からでもできる

(第三)決意は、すべてを受け入れることからはじまる

(第四)決意は、習慣を嫌い、常識を超える

(第五)決意は、問題を欲し、中傷をアドバイスに変える

(第六)決意は、迷いと不安を消し去る

(第七)決意は、強い自発性をもたらす

(第八)決意は、他人を同じ行動に駆り立てる

(第九)決意は、毎日確認するものである

(第十)決意した人は、行動に無理がなくなり、自分らしく自然体である

                  福島正伸(アントプレナー社長)
                     起業家精神メルマガより

5、「全てに感動・感謝!」(元氣のでる話)

 “ある時、ふっと、氣が附いたことがあります。
 目覚まし時計が鳴って、朝起きた時、正確に起こしてくれる目覚まし時計を作ってくださった時計メーカーの方々に感動し、感謝したくなりました。
 そして、電氣をつけた時に、パッと部屋が明るくなりました。その時、24時間いつも電氣を送ってくださっている電力会社の方々に感動し、感謝したくなりました。
 顔を洗おうとして、蛇口をひねったところ、きれいな水が出てきたので、いつも綺麗な水を送ってくださっている水道局の方々に感動し、感謝したくなりました。
 お湯を沸かそうと台所でガスコンロに火をつけたところ、勢いよく火がついたので、安全にガスを供給して下さっているガス会社の方に感動し、感謝したくなりました。
 コーヒーを飲もうとした時、コーヒーを売って下さったコーヒー会社がなければ、このコーヒーは飲むことが出来なかったかも知れないと思うと、コーヒー会社の方々に感動し、感謝したくなりました。
 そのコーヒー豆を遠くの国から、運んで下さった輸送会社の方々にも、感動し、感謝したくなりました。
 そして、その豆を作って下さった異国の農家の方にも感動、感謝したくなりました。さらにそのコーヒー豆を新鮮なまま送るための容器を開発して下さった会社の方々や、その材料になる金属を、深い地中から掘出して下さった会社の方々など、世界中のたくさんの方々に感動し、感謝したくなったのです。

 この様に、私はたくさんの感動と、感謝に包まれて生きている事に氣が附いたのです。つまり、感動すること、感謝することが幾らでも身の廻りにあったのです。
 世界中の人と関わっていることに氣が附いた時、私は大いなる感動と幸せを得ることができました。

 もし、百年前であれば、この様な生活をすることは出来なかったと思います。数え切れないほどの人々の努力の結果、いま私は世界中の美味しい食事を、日本にいながら味わう事が出来ますし、その氣になれば、飛行機に乗って世界中のどんな遠い国にでも、一日で行くことも出来ます。それはある意味、百年前の王侯貴族でも百万長者の方々でも成し遂げることが出来なかったことです。この様に考えると、今この時代に人間として、日本人として生きていることだけでも、大いに感動することが出来るかも知れません。感動は、自分でつくり出すことも出来ますが、いくらでも見つけ出すこともできるものだと思います。
どんなに小さいこと、日常の中にでも感動は隠れているからです”

今日も、多くの方々のお陰で元氣に仕事が出来ることに感謝して頑張ろう!

「無いものを氣にするより、あるものに感謝する」

ある方の記事をそのままお贈りします。私も実は、常々、こうありたいと思っていることです。


6、『ミスした時こそ笑え』
サッカー監督の羽中田昌(はちゅうだ まさし)さんは、選手に「ミスした時こそ笑え」「苦しい時こそ皆で上を向け」と指導したという。名門校で選手として活躍したが、事故で下半身不随に。スペインでコーチとしての修行を積み、帰国後に指導者の資格を取得。
車椅子監督として香川県の社会人チームを率いて四国リーグ優勝に導いた。
なぜ笑うのか。まじめな選手であるほどミスをすれば自分を責める。チーム全体が不調に陥れば皆が縮こまる。そうなっては出せるはずの力も出せなくなる。失敗を恐れず、前に進む。その為の笑いだ。聞く人の笑顔を引き出す。心持ちを前向きにしてくれる。きょう、あえてそんな言葉を交わし合うのもいい。

                     日本経済新聞「春秋」より
                     平成22年1月4日(月)

7、『学生のルールとビジネスのルールの違い』

人は、人を教えられない。
だけど、教えられる人が一人だけいる。
それは、自分自身。
人は、自分で自分を教育していくしかない。
自分で自分を、教育するしかない。

① 社会人とは何か
② 努力することの大切さとは
③ 最期まであきらめずに頑張ることの意義とは
④ 約束を守ることの重要性とは
・・・・・・・
「学生(子供)のルールとビジネスのルールの違い」
社会で働くということは、ビジネスを始めるということです。
当然のことながら、ビジネスにはビジネスのルールがあります。
それは、学生のときのルールとは違います。
学生はお金を払い教育を買っている、いわばお客様の立場でした。
お客様ですから、先生からもかまってもらえます。
先生が気に入らなければ抗議することもできますし、先生からの指示に従わず自分で好きな方法を選ぶこともできます。
自由です。

しかし、ビジネスでは自分はお客様ではありません。
そして、上司はお客様ではありません。
それどころか、自分はお客様の無理難題に対応する役割の人です。

世の中のビジネスは、50代、60代の方々の常識で動いています。
なぜなら、彼らが経営者の大半をしめる世代だからです。
彼らの常識に従い、社員の方や取引先の方がビジネスを行うのですから、当然そうなります。
50代、60代の方々が良いと思うことが良くて、悪いと思うことが悪い。
それがビジネスのルールです。
そのビジネスに参加させていただくということになります。
ルールに従い成果を上げる、ルール違反で反則をとられるのと、どちらを選びますか。
ルールだから気に入らないことがあるかもしれないが、受入られなければ反則負けしかねません。
仕事をしていて、「これはおかしい」「上司の言っていることは変」とお客様、社内の上司に腹のたつこともあるでしょう。
しかしルールですから、受け入れられないのなら、ビジネスの世界から出て行ってください、ということになるでしょう。
これまでも、自分のルールをビジネスの世界に持ち込んで「おかしいだろう」と唱えたことがあるかもしれません。
しかしゲームは、50代、60代の方々のルールでやっているわけで、仕方が無いのです。
この社会では、まずビジネスのルールを知ること、熟知すること、そして積極的にルールを活用する人が、圧倒的に有利です。

大切なルールとは

50代、60代の方々は、
『礼儀正しい人を好みます。中でも、優れた挨拶をする人が大好きです。』
『素直な人を好みます。』
『全力でチャレンジする人が大好きです。』

8、ビジネスにおいて、平等は一切ありません。
学校や家庭で「人はみな平等である」と教わったかもしれません。ですが、ビジネスに置いて、もっと言えば社会において、平等などということはありません。
優れた商品やサービスを提供する者が選ばれ、ちんけな商品やサービスを提供するものは容赦なく捨てられます。
ラーメン屋が二軒並んでいます。
一軒はおいしくて安いラーメン屋。もう一軒はまずくて高いラーメン屋。どちらを社会の人は選択しますか。安くておいしいラーメン屋にいきますね。

ビジネスの世界は良いものが選ばれ、良くないものが捨てられます。
平等などというのは、単なる妄想です。

社会はとても不平等です。
一番の不平等は・・・・・チャンスの量です。
チャンスは、優れた人に集中するんです。普段から努力している人、頑張っている人、懸命に取り組んでいる人。
こういう人にチャンスは集中するのです。これがビジネスのルールです。
社会は不平等で、チャンスも不平等 !?
チャンスを与えられた人は、何とかそのチャンスをものにしようと、これまでよりもさらに懸命に取り組み、成果を出すでしょう。
するともう一度、その人にチャンスが集中します。
チャンスが与えられないのは会社のせいだとか、誰かのせいだとか子供のルールはビジネスでは単なる言いわけです。
チャンスを与えられないのは本人の問題。
チャンスを自分のところに自らが引っ張ってくる。
社会という場ではチャンスの好き嫌いに関わらず、そのチャンスをモノにし続けていくと、やがて大きなチャンスがやってきます。

チャンスをモノにする絶対条件
普段から努力している、頑張っている、懸命に取り組んでいること。

9、成長する人の条件
① 意気込みの強い人
② 覚悟の強い人
③ 物事を素直に取り組める人

特に片腕として選考における重要点があります。
それは、その人が『素直であるかどうか』という点をよく見ることです。
ちょっと厳しい言い方になりますが、素直でなければ、会社がその人に教育という投資をする価値はありません。

                       7、8、9 苗木邦王 著
                     一瞬で脳を変える伸びる化

10、「人は人によって輝く」

二年前、宇都宮の内観研修所で一週間、内観をしたことがある。
その時に、はるか遠くに忘れていた記憶が不意によみがえってきたような思いが胸中をよぎった。それは、
「生きているということは愛されているということだ」
という思いである。
いま仮に、どんな状況の中にあろうとも、その状況がどんなに不遇な恵まれない状況にあろうとも、そこに生きているということはすでにたくさんの愛情に恵まれ支えられてきた、ということである。
そういう思いが天啓のように走った時、半畳の囲いの中で、嗚咽していた。

遺伝子の専門家によると、人間とチンパンジーの遺伝子は九十八パーセント同じだ、という。人間とチンパンジーを分けるのは、たった二パーセントの遺伝子の差でしかない、というのである。ここに何か大事なメッセージが込められているように思う。

『遺伝子は語る』の著者、村上和男教授によると、遺伝子は環境や感動によってオンになったりオフになったりするらしい。とすれば、もしこの二パーセントの遺伝子が活動しなければ、人間は人間として生まれても人間にならないで終わるということである。

その悲しい事例を、私たちは歴史に持っている。1920年、インドのカルカッタ附近で発見された狼に育てられた二人の少女の話である。下の子は発見された翌年に死んだが、上の子はその後8年大事に育てられたにもかかわらず、ついに直立歩行も言葉の使用も完全にマスターすることはできなかった。この事実が私たちに教えるものは何か。

人は人として生まれても、そして肉体的に栄養を与えられても人間として成長することはできない、ということである。人は人の間で愛情をかけられて育つからこそ人間となる。人として輝きのある人生を生きることができる。

一人で発光している人はいない。どの人も人の愛を受けて光っている。人は人によって輝くのである。

                         小さな人生論(1)
                            藤尾秀昭著
                            致知出版社

11、「家族はみんな笑っているほうがいいから」
今から六年ほど前、長女が四歳の時に言ってくれた言葉です。
あの時、私は主人とささいなことでケンカになり、いつもは長女の前ではケンカなど見せないようにしてきたのですが、抑えきれずに涙まで見せてしまいました。
主人も外出して、一人泣いていた私でしたが、長女が静かに絵を描いているのが見えました。
近くまで行くと、紙には家族五人がニコニコ手をつないで笑っている絵が描かれていました。
長女に、
「絵を描いているの?」
と訊くと、
「うん!家族はみんな笑っているほうがいいから・・・・・・」
と一言いいました。
私は思わず長女を抱き締めて泣いてしまいました。
今回のことで主人と長女をすごく傷つけてしまったことを反省・・・・・・。幼いながら私達に笑顔の大切さ、家族の大切さを教えてくれた長女に感謝しました。
今でもすごく優しい長女に、「いい子に育ってくれてありがとう」といいたいです。

                     ひまわり(北海道 38歳)

                       書名:コトバのチカラ
              編者:日本民間放送連盟ラジオ委員会
                       発行所:PHP研究所

12
「幸福のただ一つの正道(せいどう)は、家庭の人々を喜ばせ、職場の人々を喜ばせ、社会を喜ばせ、すべてのものを喜ばせる生活である」

                  倫理研究所創設者・丸山敏雄

13、“教養”“性格”は自分で変えられる
『もてなし』の基本は、“教養”“性格”などに醸成された態度、身のこなし、人に対する態度、振る舞い方、接遇などである。

日本では仁の心を表現し、しかもそれが美しくあるべきだという価値観のもと、礼儀、作法が体系化されてきた。
他者を大切にしようと考えて、その気持ちが相手に伝わるように、時、場所、状況に応じて美しく表現する思想とその方法論の体系、
それが『礼法』
                   1月21日整備振興会 講演
                         『中島よしゑ』和学

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プロフィール

有賀泰治

車検の『アップル車検』
自動車販売の『カーベル』
キズ、へこみの『キズナース』
中古タイヤ、カー用品の『ガレージ・オプション』
事故・故障対応の『レッカーサービス』
自動車をはじめとしたすべての損害保険・生命保険の『保険部門』

上質なカーメンテナンスを自社で全て提供する自動車会社
㈱アルガオートサービスは自動車関連の事業を営んでいます。

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