2010/01/01
有賀稲荷は並柳交差点より東へ150メートル弘法山の北の麓にあります。
舞台の周りにある、幕を見てください、これは、有賀同姓の家紋で、《三本梶》です。
風林火山でもお馴染みの諏訪氏の家紋と同じです。
諏訪氏は諏訪大社上社の大祝から武士化したもので
、日本書紀などによれば、201年から269年まで政事を執りおこなった、かなり古い一族です。
さらに、梶の葉紋は諏訪大社の神紋として、平安時代から始まったものと思われ、鎌倉時代の公式記録とされる『吾妻鏡』の治承四年(1180)九月の条に、甲斐源氏武田太郎信義・一条次郎忠頼らが、源頼朝の挙兵に応じて出陣したとき、諏訪上社の大祝篤光の妻が夫の使いとして、一条次郎の陣所に来て、「主人篤光、源家の再興を祈って三ヶ日社頭に参籠したところが、ある夜、夢枕に梶葉紋をつけて葦毛の馬に乗った勇士が、源氏の方人と称して、西を指して鞭を揚げたのは、これひとえに諏訪大明神の示現である」と告げたことが記されている。
古い由来の神紋で、松本ではお寺の牛伏寺も同じです。
今年の当家は1月から写真中央の屋号・新切の有賀堅実さん
その右が正さん(大西)、左が竹文さん(竹林)
左から大本家(大東)の俊行さん、正典さん(大西)、孝男さん(田屋敷)
手前から新切の本家のケイジさん、久々出席で漢字忘れちゃいました。啓さん(中屋)。久さん(まる西・我が家の本家です)
舞台の周りにある、幕を見てください、これは、有賀同姓の家紋で、《三本梶》です。
風林火山でもお馴染みの諏訪氏の家紋と同じです。
諏訪氏は諏訪大社上社の大祝から武士化したもので
、日本書紀などによれば、201年から269年まで政事を執りおこなった、かなり古い一族です。
さらに、梶の葉紋は諏訪大社の神紋として、平安時代から始まったものと思われ、鎌倉時代の公式記録とされる『吾妻鏡』の治承四年(1180)九月の条に、甲斐源氏武田太郎信義・一条次郎忠頼らが、源頼朝の挙兵に応じて出陣したとき、諏訪上社の大祝篤光の妻が夫の使いとして、一条次郎の陣所に来て、「主人篤光、源家の再興を祈って三ヶ日社頭に参籠したところが、ある夜、夢枕に梶葉紋をつけて葦毛の馬に乗った勇士が、源氏の方人と称して、西を指して鞭を揚げたのは、これひとえに諏訪大明神の示現である」と告げたことが記されている。
古い由来の神紋で、松本ではお寺の牛伏寺も同じです。
今年の当家は1月から写真中央の屋号・新切の有賀堅実さん
その右が正さん(大西)、左が竹文さん(竹林)
左から大本家(大東)の俊行さん、正典さん(大西)、孝男さん(田屋敷)
手前から新切の本家のケイジさん、久々出席で漢字忘れちゃいました。啓さん(中屋)。久さん(まる西・我が家の本家です)
2010/01/01
こちらは、有賀同姓の《有賀稲荷》です。
一族だけの新年祭です。
毎年、紹介しますが、並柳の有賀一族は新年祭からはじめ、年間何回もの祭典行事を執り行ないます。
何百年も行われている、この一族の集まりが、何年も一族を結集させ子々孫々にわたり、絆を深め仲良く暮らし続ける、秘訣です。
小さな家族から、大企業にまでこう言う催し物もの、イベントは必要な事だと思います。
やり続ける、継続のパワーが永遠の繁栄をもたらします。
一族だけの新年祭です。
毎年、紹介しますが、並柳の有賀一族は新年祭からはじめ、年間何回もの祭典行事を執り行ないます。
何百年も行われている、この一族の集まりが、何年も一族を結集させ子々孫々にわたり、絆を深め仲良く暮らし続ける、秘訣です。
小さな家族から、大企業にまでこう言う催し物もの、イベントは必要な事だと思います。
やり続ける、継続のパワーが永遠の繁栄をもたらします。
2010/01/01
まずは、《村の神明宮》にて新年祭が執り行われました。
並柳の氏子になって三回目、今回で最後になります。
四月には町会の役員改選と共に、新しい氏子がきまります。
新年祭では
心、新たに、一年間の安全と繁栄を願います。
並柳の氏子になって三回目、今回で最後になります。
四月には町会の役員改選と共に、新しい氏子がきまります。
新年祭では
心、新たに、一年間の安全と繁栄を願います。