2012/06/10
「正義」とはいったい何でしょうか。
自分にとっての「正義」とはなんでしょうか。
正義は普遍そうに見えて普遍ではありません。
正義の価値観はその時々で変わると思います。
普遍的に思える「1+1=2」という考え方も、人間が数字という概念をつくり、そこから生み出されたひとつの「決まり」です。
もし数字という概念が異なるものとして生み出されて進化してきたならば、あらゆるものが、今とは全く違ったものになっていたはずです。
人間の権利や命の尊さにしても、自分たちのなかに共通の認識が根づいているようで、実際はそうではないとおもいます。
その証拠に証拠というにはあまりにも残酷ですが、今も世界のどこかで戦争が行われています。
なぜ人間同士で命をかけて傷つけ合うことは悲しいことであると、誰でもがわかっていることなのに、そのような”過ち”を犯してしまうのか。
それは正義の意味、概念が異なるからではないでしょうか。
戦争という場においては、平和を守るという正義と、戦って敵を倒すという二つの相反する正義が存在します。
だから争いがおき、戦わなくてはならないんだと思います。
正義の形はひとつではないと思います。
しかし!
自分の正義を自分自身で証明することができるのは、強い者だけです!
ただ
その強さというのは
力の強さとイコールではないと思います。
その強さとは、、、、
「正義を証明できる、正義を選べる心の強さ」
ではないでしょうか。
自分にとっての「正義」とはなんでしょうか。
正義は普遍そうに見えて普遍ではありません。
正義の価値観はその時々で変わると思います。
普遍的に思える「1+1=2」という考え方も、人間が数字という概念をつくり、そこから生み出されたひとつの「決まり」です。
もし数字という概念が異なるものとして生み出されて進化してきたならば、あらゆるものが、今とは全く違ったものになっていたはずです。
人間の権利や命の尊さにしても、自分たちのなかに共通の認識が根づいているようで、実際はそうではないとおもいます。
その証拠に証拠というにはあまりにも残酷ですが、今も世界のどこかで戦争が行われています。
なぜ人間同士で命をかけて傷つけ合うことは悲しいことであると、誰でもがわかっていることなのに、そのような”過ち”を犯してしまうのか。
それは正義の意味、概念が異なるからではないでしょうか。
戦争という場においては、平和を守るという正義と、戦って敵を倒すという二つの相反する正義が存在します。
だから争いがおき、戦わなくてはならないんだと思います。
正義の形はひとつではないと思います。
しかし!
自分の正義を自分自身で証明することができるのは、強い者だけです!
ただ
その強さというのは
力の強さとイコールではないと思います。
その強さとは、、、、
「正義を証明できる、正義を選べる心の強さ」
ではないでしょうか。
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