自分と三沢との思い出は高校一年に遡る。
当時、全日の所属だった、三沢は超世代軍のリーダーとして
メンバーを率いていた。
一番最初に観た三沢の試合は田上戦、セミファイナルだったと思う。
その日の松本大会は5大シングルマッチという素晴しい
組み合わせがあり、(その後の松本大会でも、後楽園並みにいい試合が組まれていた)どれも迫力のあるもので、感動したのを今でも覚えている。
なかでもファイナルの鶴田対小橋とセミの三沢対田上は、
初めて観た生のプロレスということもあったが、それを抜いても
あの試合内容は一地方でやる興行とは思えない素晴しい内容だった。
余談だが、僕ら高校仲間は当時全日、新日と松本大会を観にいったが
この試合を最初に観たせいか、新日の地方をなめた?試合内容を受け入れずことができず、みな全日派になっている。(新日派の方スイマセン)
それからは格闘技の方に目をむくことが多くなり、あまりプロレスを
観る事がなくなってきてはいたが、でも、全日、ノアに進む全日イズム
を、週刊誌で、テレビで気にはしていた。
馬場さんの死、鶴田の死、サムソン冬木の死
いずれも大きなショックだった。
でも、これを乗り越えたのは、三沢が彼らの思いを受け継ぎ
乗り越えて言ってくれる事を知っていたから、
三沢についていけばなんとかなることを知っていたからだ。
この三沢の死に、支えになるものがない。
実家に有るはずの三沢と撮った写真を探してみよう。
三沢にもらったサインも探してみよう。
高校時代の仲間とあの時代の事を思い出し飲み明かそう。
それが追悼になるのかわからないけど。
また1人、偉大なるレスラーがいなくなってしまった。
飲み明かそう!!あの時を思い出して!!
ジャンボ鶴田は大きな手で僕らの頭をなでてくれて、仲間のレスラーに声をかけ、たくさんのサインをしてもらった。全ては覚えてないが、百田、アニマル浜口、ウォーリアーズ、ビッグジョンテンタ・・・そして馬場さんにサインをお願いするときだけはジャンボ鶴田自ら馬場さんの肩をもみながらサインをお願いしてくれた。馬場さんでかかった。
そして三沢・・・僕のあった事のある三沢はタイガーマスクのいでたちであり、子供の頃のぼくはそれが三沢だとは知らず、ヒーローのサインがうれしくてうれしくてたまらなかった。
三沢は楽屋でブーツを脱ぎ、水虫の薬を綿棒で塗っていた。少しショックだったが、今はいい思い出。ブーツは脱いでも、マスクは外さず。
その日のタイガーはかっこよく宙を舞っていた。
それほどプロレスが好きなわけでは無いが、三沢の死はショックだった。
プロレスが死と隣り合わせのスポーツである事を改めて感じた。
この後、日本のプロレスはどこへ進んで行くのだろう。三沢の意思が残る事を期待したい。
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ラジオにご出演! かつ日本酒の話! 興味ありますとも~! 仕事中なのでいかんともし難いので、 ...
- Re: いやー1ヶ月ぶりの更新。
いつも美味しい酒・料理をありがとうございます。25日は家族で思いっきりクリスマスを楽しんでくだ...
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